おひつじ座
沈黙と言葉
一つの噴泉としての沈黙
今週のおひつじ座は、沈黙と言葉のあいだに立つがごとく。あるいは、内気と力強さが入り混じってひとつの思想が醸成されていくような星回り。
現代ほど人がたくさんの情報量を浴びながら生活している時代はかつてありませんが、同時に現代ほど言葉ひとつひとつの力が失われ、何かを伝えたり口にしたりすることの意味が陳腐化してしまった状況もないのではないでしょうか。
逆に、古代の言葉というのは、つねにその中心にはひとつの大きな沈黙があって、いかにそこから放射状にさまざまな言葉が形づくられようとも、繰り返しこの沈黙という中心に帰っては、あらためてこの中心から始まるようにできていました。しかもそうした傾向は、沈黙とはほど遠いものと思われがちな求愛や憤激の言葉であれば尚更強まったのです。
例えば、マックス・ピカートの『沈黙の世界』には、古代ギリシャのヘロンの言葉として次のような一節が引用されています。
「偉大なる文体においては、通常、沈黙がかなりの空間を占めている。たとえば、タチトゥスの文章のなかには沈黙が支配している。卑俗な怒りは爆発的であり、低級な怒りは饒舌である。しかし、いわば正義を未来に期待して、もろもろの事柄に言葉を委ねるために沈黙することを欲する一種の憤激がある。」
3月6日におひつじ座から数えて「鋭く深い思考」を意味する9番目のいて座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、あえて沈黙を欲することで、その沈黙の深みからやっと歩みでたばかりの最初の言葉の力強さを改めて獲得していきたいところです。
前世の自分からの手紙
ダライ・ラマ14世の自伝には、まだ少年面影の残るダライ・ラマが「私はどうしたらいいのか?」と側近に聞いた際、次のような手紙を渡されるというシーンが出てきます。
チベットは、宗教、政府の両方が内外から攻撃を受けるであろう。もしわれわれみずから自国を守らないなら、ダライとパンチェン・ラマ、父と子、すべての尊敬すべき宗教指導者達はこの国から姿を消し、無名のものとなってしまうであろう。僧も僧院も絶滅されるだろう。法の支配は弱まり、政府官僚の土地、財産は没収されるだろう。彼らは己の敵に奉仕させられ、物ごいのように国を彷徨うことになろう。すべてのものが塗炭の苦しみに喘ぎ、恐怖にさらされ、昼も夜も苦悩に重い足を曳きずってゆくだろう。(『ダライ・ラマ自伝』)
そして、「この手紙を書いたのはあなたですよ。あなたが私達を導くのです」と言われ、呆然としてしまうのです。しかし結果的に少年は前世の自分の言葉を受け入れ、救国の英雄となっていきました。
今週はそんな自身の背景だったり、“図”に対する“地”の部分に焦点が当たっていきそうです。
今週のキーワード
図と地の反転