おひつじ座
「私」を取り戻す
※当初の内容に誤りがありましたので、修正を行いました。ご迷惑をおかけし大変申し訳ございません。(2021年1月25日追記)
余剰としての笑い
今週のおひつじ座は、「蟹追う犬空間が混み合っている」(田島健一)という句のごとし。あるいは、だんだん若返っていくような星回り。
わずか17文字で表現する短詩文学の極北である俳句では、余計な言葉はできるだけ削いでいくのがお約束であり、一般的に読者に伝わるかぎりぎりのところでいかに言葉を選んでいくかが詠み手に問われていくものというイメージがあるのではないでしょうか。
ところが、作者は掲句においてそうしたお約束の範疇外になんとはなしに立つことで、作句の一般的なイメージをそっとひっくり返してしまっている。
頭の「蟹追う犬」からして既に「お魚くわえたどら猫とそれを追うサザエさん」並みの過剰な情報量ですが、もはやどちらが季語なのかとか、取り合わせとして類例があるのかなどといった細かい約束事がどうでもよくなるくらい、句に詠んでいる絵面自体がシンプルに面白い。
それも、どこかアハッとかキャハハといった子供の笑いを誘うような面白さであって、大人のくぐもった笑いや冷笑や嘲笑と違い、純粋に魂を振動させていくようなバイブレーションを持っています。
その意味で、29日におひつじ座から数えて「遊びと笑い」を意味する5番目のしし座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、つまらないお約束やこの世の常識の範疇外にみずからを立たせ、大人としての自分を自由に解き放っていくことがテーマとなっていくでしょう。
前提条件としての不条理と痛苦
「現世のなにものも、われわれから「私」と口に出していう力を取り上げることはできない」と、シモーヌ・ヴェイユは『重力と恩寵』のなかで書いていましたが、実際にはしばしば私たちは「私」と口に出すことを忘れてしまいます。
そうして、出来事が自分から大事な一部を奪い去っていくという不条理を経験した上で、掲句に詠まれたようなふとした偶然がたまたま重なって、私たちは自身が体験していた痛苦を思い出したかのようにやっとのことで「私」とつぶやくのです。
いわば、不条理と痛苦は、「私」という呪文を唱えるためには欠かすことのできない前提条件であり、そうであればこそ、自身の抱える不条理と痛苦をどこかへ吹き飛ばす必要に迫られていく。そうちょうど、「蟹追う犬」を通して「私」を取り戻した掲句の作者のように。
その意味で今週のおひつじ座は、そんな私以前のものが、私になっていくための一芝居を打っていくようとも形容できるかも知れません。
今週のキーワード
重力と恩寵