おひつじ座
現実はゆらぐよゆらぐいつまでも
3つの「かなし」を込める
今週のおひつじ座は、「かなしさや釣りの糸ふく秋の風」(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、何かが心の琴線をビュンビュンとならしていくような星回り。
まず「釣りの糸ふく」というのは、釣りの竿(さお)を下ろして、その糸に秋風が吹いてビュンビュンと音がするのでしょう。それが「かなし」いと言うんですね。
ただこの場合の「かなし」とは「sad(悲しい)」だけではなく、愛する、慈しむという意味での「愛(かな)し」、そして見事だ、とか感動したという意味での「かなし」という3つの意味が同時に込められているのです。
そもそも、この「かなし」という言葉はどこから来たかというと、「~しかねる」の「かね」が「かな」になって、そこから来ている。つまり、仕方ない、避けられない、力が及ばすに事を果たし得ないということを、昔の人は「かなしい」という言葉に込めてきた。
掲句でも、他の生物を殺すことでしか存在しえないという人間の根本的矛盾、これが悲しいのであり、さらに糸を介して生きるものと死ぬものとが接していて、その境界線を秋風が吹きぬけていくことでそれが初めて心の琴線に触れていく。それが「愛(かな)し」ということなんです。
23日に太陽がさそり座に入ると同時に、おひつじ座から数えて「未来への態度」を意味する11番目のみずがめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、単純に楽観的でも悲観的というのではない、何か自分が今後も存在していくことにまつわる複雑な感情をしみじみと感じ入っていくことになるかも知れません。
ゆらゆらして待つこと
「美しいと汚いは、別々にあるんじゃあない。
美しいものは、 汚いものがあるから 美しいと呼ばれるんだ。
善悪だってそうさ 善は、 悪があるから、 善と呼ばれるんだ。
悪のおかげで 善があるってわけさ。
同じように、 ものが「在る」のも、 「無い」があるからこそありうるんでね。
お互いに 片一方だけじゃあ、在りえないんだ。
(中略)
だから 道の働きにつながる人は 知ったかぶって手軽くきめつけたりしない。
ものの中にある自然のリズムに任せて 手出しをしない。
すべてのものは生まれでて 千変万化して動いてゆくんだからね。」
(加島詳造、『タオ 老子』)
世間でふつうに生きていると、前向きに生きるとか、社会の役に立つ、正義を胸に善を成す、 美しいものに触れるといったことが、揺るぎなく肯定的に捉えられがちです。
ですが今週のおひつじ座は、さながら掲句の釣り人としての蕪村がそうしたように、そういう区別なんて本当はないのかもしれない、というところまでいったん降りていくことがテーマなのだとも言えるでしょう。
そうして、あくまで自分自身が待ち望んでいたものの訪れを、身体を揺らして待っていきたいところです。
今週のキーワード
ゆらゆら帝国