おひつじ座
境界線上をゆくために
虚実のすき間に広がるあわい
今週のおひつじ座は、「蝋燭の焔の瑠璃や夏の暮」(山西雅子)という句のごとし。あるいは、今このタイミングでしか掴むことのできない豊かさに気が付いていくような星回り。
火を包んでいる闇にも色はある。掲句は言わばその発見をめぐる一句。
ふつう火と言えば、赤やオレンジなどの明るい色が連想されますが、ここでは「琉璃」が持ち出されていて、まずその意外性に驚きます。けれど、けっして不自然ではありません。
紫をおびた濃い青は、闇が焔(ほのお)を包みつつ、その内と外とのあわいに立ち上がってくる色であり、それは炎天のごとき夏の日差しが夕闇に溶けて消えていく「夏の暮」とも呼応しあっています。そしておそらく、焔がそんな琉璃色の姿を見せてくれるのは「夏の暮」以外の季節、時間帯にはないでしょう。
そこでは「焔」は熱を立ち上げる姿を見せながら、同時にたしかな涼気を纏っています。光と闇、それら二つの異なる領域のちょうど境界線上に「焔」は置かれているのです。
14日におひつじ座から数えて「果たすべき役割と終着点」を意味する10番目のやぎ座にある木星・冥王星に改めて焦点があたっていく今週のあなたもまた、情熱と冷静、未来と過去、夢と現実のはざまで、これしかないという一点突破の抜け道を見出していきたいところです。
発見する営みとしての芸術
それが何かしらの言葉であれ、人間であれ、芸術作品であれ、存在しているだけでなぜだかありがたい。そう思わせるものには、あなたの魂の片割れが潜んでいます。
例えば、そういうものにお金を払うという行為は、単に消費や浪費や経済的合理性ということを超えて、もっと「自分自身」を感じたいという衝動から発していますし、そうした感覚はあなたが「自分は誰と/何と付き合っていくべきか?」という問題を考える際にも、大変重要なヒントを提供してくれるはず。
自分を知らず、自分に鈍感な人というのは、しばしば他人と付き合うということの根幹もまた見誤ってしまうものですが、仮に芸術を「発見する営み」だとすれば、その目的語に当たるのは常に自分自身ですし、自分を発見するのが上手になればなるほど、付き合うべき相手やその関わり方というのもまた自然に分かってくるもの。
その意味で、先の「瑠璃」というのも「焔」という“実”の隙間に開けた“虚”であり、両者は表裏一体の関係にあるのだとも言えるかも知れません。
今週のキーワード
魂の片割れ