おひつじ座
蝶の群れと海に浮かぶ島々
蝶の群れのような私
今週のおひつじ座は、ジュディス・バトラーの名付けた「エイジェンシー」という概念のごとし。すなわち、既存の“アイデンティティ”を攪乱し変革していかんとするような星回り。
ちょうどマルクスにとって「商品」が人間の労働の「沈殿物」であったように、バトラーにとってはアイデンティティとは言説行為の繰り返しを通じて事後的に構築された沈殿物であり、こういう過程的なあり方を行為に先立つ「主体」と呼ぶのはふさわしくないとして、行為体とか行為媒体と訳される“エイジェンシー”と名付けました。
そこでは「主体が語る」のではなく、あくまで「言語が主体を媒体として語る」のであり、さらに「まったき能動性」でもなく、「まったき受動性」でもない、言説実践が生起していく流動的で折衝的な「場」として、自分が自分であることを想定していこうとしている訳です。
となれば、そのような事態に「同一性(同じであることや一貫性)」を含意するような呼び名(自己同一性=アイデンティティ)を与えることは、もはや論理矛盾とさえ言える野ではないでしょうか。
おひつじ座の太陽(自分自身)がやぎ座の冥王星(根本変容)・木星(現実拡張)と次々と鋭い角度(90度)をとって影響を受けていく今週のあなたもまた、青ざめた金太郎飴のように終始一貫している自分自身を、複数の異なるそれの緩やかな連合態へとほどいていくことがテーマとなっていきそうです。
孤島を結ぶ
例えば、言い間違いや過ちとも取れる行為や失敗というのは、それ単体のみを見ている限りは、さながら絶海の孤島のように広い海にポツンと取り残された無用の長物や悔恨の種でしかないかも知れません。
ただし、もし私たちが航行する術を学んで、ひとつひとつの過ちや失敗としての孤島を舟で結んでいくことができれば、世界の中での自分の立ち位置は改めて確かになっていき、いずれ「自分は何者であるか?」という問いへの確かな答えを得ていくことだってできるでしょう。
「カリブ海の詩人たちは、どこに生まれようと、ついには群島的な出自を持つにいたる。それぞれの故郷である固有の島にたいする生得的な帰属は、あるとき、より広汎で接続的な、カリブ海島嶼(とうしょ)地域全体にたいする帰属意識へと置き換えられる。そして彼らの住み処はこの多島海、この群島全体にひろがってゆく。」(今福龍太、『群島—世界論』)
今週のキーワード
過つほどに見えてくる