おひつじ座
舞台に立つ
サンダルを脱いだモーセ
今週のおひつじ座は、ヘブライ語の「MKVM(マコーム)」という言葉のごとし。あるいは、ただ漫然と立つのではなく、自分が他ならぬ自分として立つことを意識していくような星回り。
M(マ)は「~から」という意味の前置詞、KVM(コーム)は「立つ、立ち上がる、目覚める、活動を開始する」という意味の動詞。すなわち、「MKVM(マコーム)」とはヘブライ語で「人が立つ地点」としての場所のことを指す言葉。
ただ、それは単に一定の区画のことではなく、その人に"固有”の場所であり、その人がその人として立ち、みずからに与えられた使命を自覚できる場所なのだと、ヘブライ人は考えていた訳です。ここで、そうした意味での「マコーム」を考える意味で重要な箇所を、ユダヤ聖書から引用しておきたいと思います。
「神は柴(ブッシュ)の中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。神は言われた。「ここに近づいてはいけない。足から靴(サンダル)を脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる場所だからである。」
当時、靴(サンダル)は自由人のしるしであり、名誉と誇りの証し、言うならば"エゴ"の象徴であり、それを脱いで裸足になるとは自ら奴隷並みになることを意味しました。
モーセは罪を犯したお尋ね者で逃亡者でしたが、もとはエジプト王女の養子で、王宮で華やかな暮らしをしていた過去を忘れられずにいたのです。その意味で、まず神の意図は、その中途半端な過去への思いを捨て去れ、という点にあったのでしょう。
4月1日におひつじ座から数えて「居場所」を意味する4番目のかに座で、上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分が立つべき場所について改めて考え、そして実際に行動していくことができるかどうかが問われていきそうです。
「在る」と「成る」
ドラマというものは、劇場や台本があって初めて成り立つものでは決してありません。ドラマが演じられるとそこが劇場になり、しゃべった言葉が台本になって続きが書かれていく。つまり、ドラマというのはどこかに「在る」のではなく「成る」ものなのです。
逆に言えば、劇場になりたがっている街へおもむき、そこで抑えがたいエモーショナルな部分に光を当て、何かしら言葉に乗せていくとき、ごく当たり前の日常がそのままドラマに成っていく、ということでもあります。
今週はそうした、演技と素顔の境い目がなくなってしまうようなところから、自ら流れを変えていくような爆発的な力強さがどこからか湧いてくるかも知れません。いつでも始められるよう心してください。
今週のキーワード
汝が成るところに神は在る、聖地とはその場所に他ならない