おひつじ座
旅の時間へ
流れよ!
今週のおひつじ座は、ニュートン時間に対するベルクソン時間のごとし。あるいは、改めてわが身を‟生きた心地”の中に置き直していくような星回り。
客観的に決められた目盛りで寸分の狂いもなく測ることのできる物理的時間のことを、ベルクソンは過去の実績や評価と対応させて「流れ去った時間」と言い、これは後にニュートン時間とも呼ばれ、他ならぬ<私>と無関係であるにも関わらず近代以降の社会で変わらずに重視されてきました。
それに対し、今この瞬間に<私>によって感じられる心理的時間のことを、ベルクソンは人生そのものと対応させつつ「流れつつある時間」と言い、こちらは彼の名にちなんでベルクソン時間と呼ばれています。
29歳に時に書いた『時間と自由』の中で、彼は「自由行為は流れつつある時間の中で行われるもので、流れ去った時間の中で行われるものではない」と述べており、通常のわれわれは「みずから行動するよりもむしろ‟行動させられて”いる」のだとしていますが、これは今のおひつじ座が感じている乖離や疎外の感覚にも近いはず。
3月3日におひつじ座から数えて「再始動」を意味する3番目のふたご座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週は、どうしたら再び「流れつつある時間」の続いている「純粋持続」へと自分を置いていけるかが試されていくでしょう。
旅は憧れから始まる
本来、旅というのは自分でしようと決めて始めるものではなく、運命に促されるように気が付いた時にはもう始まってしまっているもの。何らかの決定的な欠損や別離を埋めるために、否が応でも始めざるを得ないものです。
例えば、歌人の若山牧水はそうした心の働きを「あくがれ」と呼びましたが、それこそベルクソンの言う「流れつつある時間」への呼び水となるものであるはず。
牧水にとって歌とは、やむにやまれぬ旅の足跡に他ならず、だからこそ寂しくかなしいものであり、実際彼の歌におおくの人が心を動かされました。そう、憧れは必ずしも人を幸福にはしないかも知れませんが、人をおおいに感動させるし、何といっても‟粋”に見せる。
逆に言えば、憧れを持たない人というのは、どんなに立派な地位についていようと、すべからく野暮なのです。
今週のおひつじ座は、あらためて憧れに突き動かされるように人生が流れていくことをまずは自分に許していくといいかも知れません。
今週のキーワード
粋と野暮とを分けるもの