おひつじ座
酔狂の塩梅
芭蕉の隠棲
今週のおひつじ座は、「芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉」(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、酔狂な遊びにどっぷりと浸かっていくような星回り。
季語は「野分(のわけ)」で秋、今でいう台風のことで、庭に植えられた「芭蕉」のバナナに似た大きな葉は、バタバタとはためいてちぎれんばかり。そして、家の中では作者が盥(たらい)に落ちる雨漏りの音を聞きながら過ごしている。
当時の作者は数えで38歳。前年に日本橋での華やかな都会暮らしを捨てて、隅田川の向こう岸にある深川の隠者のような庵へ引っ越してきた。
彼はすでにプロの俳人としての確固たる地位を築いていた訳で、この引っ越しは懐事情のためというより、杜甫に代表される漢詩の世界への憧れがあったものと考えた方が自然だろう。
実際、杜甫の詩には風で屋根を吹き飛ばされての雨漏りに嘆くという内容のものがある。
作者の隠棲は、尊敬するいにしえの詩人たちと同じ境遇に身を置いて、生活と一致した自分なりの詩境を開いていきたいという切望の現われであり、いわば漢詩の世界の身を以てのパロディだったに違いない。
もはや、そうすることでしか、自分を充たすことができなかったのかもしれない。そして中秋の名月があけ、22日(日)の下弦の月へ向かって月がゆっくりと欠けていく今週のあなたは、どこか隠棲後の芭蕉に重なるところが出てくるはず。
もの好きというべきか、酔狂というべきか。ただ確かに、あまりに安穏とした惰性的生活は、おひつじ座の人たちの肌には合わないのだろう。
「もう一人の自分」を育てるということ
人生で本当に辛いとき、苦しいとき、決定的に自分を救ってくれるのは「もう一人の自分」に他ならない。
視線を感じるだけの場合もあれば、具体的な言葉をかけてくることもあり、そればかりはもう個人差と言わざるを得ない。ただここで大切なのは、そうした「もう一人の自分」というのはどうも「無駄な努力」や「酔狂な遊び」に興じている時間の中でこそ、育っていくらしいということ。
逆に、「酔狂な遊び」を一切やめて健全になろうとすれば、次第に「もう一人の自分」はお化けのようになっていき、逆に自分の足を引っ張るようになるはず。そのあたりの付き合い方という点でも、やはり芭蕉は抜群でした。
彼ほどまでとはいかずとも、今週は酔狂のちょうどいい塩梅を貪欲に探っていきたいところ。
今週のキーワード
二人の自分を生きる