おひつじ座
境界と交易
死んだようでもあり生きているようでもあり
今週のおひつじ座は「天空に白き球ある焚火かな」(渡辺松男)という句のごとし。ある いは、自分を必要としてくれている場所を、ゆっくりと見定めていくような星回り。
「白き球」とは冬の太陽のことでしょう。ただ、そう言い切ってしまってはこの句の味は 半減してしまうように思えます。
確かに太陽でありながらも、さかんに燃え上がる焚火の 炎と煙に煽られるように、ふわふわと浮かんでいる不思議な「白き球」でもあるのです。
今のあなたもまた、さまざまな線引きや区分けに従いながら生きている一個人であり、自らを富み栄え幸せにしようと一生懸命にならなければいけない身でありながらも、どこかそうした一切を超越した<境界線の向こう側>にぽやんと浮かぶ存在となって、この世を漂いながら見ているくらいの感覚がちょうどいいのかもしれません。
そもそも、人の身で生まれてくるということは「生きてるだけで丸儲け」であるくらい有り難いことでありつつも、釈迦の説いたように一切皆苦(すべてのものは苦しみである) でもあり、生老病死のいずれも思い通りにはならないように出来ているという、大いに矛盾を抱えた事態でもある訳です。
今週はそうした矛盾を矛盾として突き放しつつ、どこでならそれを受け入れられるか、着地点を模索していくことになりそうです。
市に立つ
古代世界や中世において、自分自身とその持ち物とはきわめて強く結びついていました。
物の交換や贈与互酬が繰り返されると人と人との絆が強く密接になりすぎてしまい、それでは交易が成り立ち得ず、物自体の交換を可能にするために「市」という手続きが設けられるようになっていきました。
市の立つ場所にはさまざまな特徴があり、大樹が立っている場所だったり、虹が立つとそこに市を立てなければならなかったり、そのほかに、河原や中洲、浜、坂、山の根など、 自然と人間社会との<境>や、神仏の世界と俗界の<境>で、聖なるものに結びついた場が選ばれました。
そこに入ったものは、俗界からいったん縁が切れて神のものになる。
それゆえにこそ、後腐れなく物を物として相互に交換していくことができた。逆に言えば、市での交易というのは神を喜ばせる行為でもあった訳です。
今週は、そんな「市」に自分自身のスキルや経験や情熱を立たせて、何か別のものと交換していくような、そんな感覚が久々にしっくりきそうなタイミングと言えるでしょう。
今週のキーワード
まず境界的空間を探すこと