おひつじ座
予め祝うということ
祝いと呪い
今週のおひつじ座は、ただ、名前を呼ぶだけで祝福になるような言い方をしていく祝人(ほいど)のごとし。あるいは、これから自分の身の周りに起こる祝福を、先取りしていくような星回り。
岡野玲子さんの『陰陽師』に、「名前は呪である」という台詞が出てきます。
これは、人は名前によって縛られているという発想が元にあって、本名を知られることは、時と場合によっては、相手に生殺与奪の権を奪われてしまうことを意味していた。
だから、昔の人は人生を通してしょっちゅう名前を変えていたのです。
逆に言えば、あえてつけた名前というのは、自分を縛る檻にもなる一方でプロテクターにもなるということでもあり、呪いも裏を返せば祝福にもなったのです。
今週のおひつじ座は、こうした誰かに対する呼びかけ方や、呼ばれ方そのものが大事な焦点となっていくでしょう。
無意識のうちに、自分は呪われていないだろうか。あるいは、誰かに呪いの代わりに祝福をかけているだろうか、と。
ただし祝福といっても、歯の浮くような形容詞や美辞麗句を並べ立てたりするのではなく、
「小高い丘がある。その横には川が流れていて、奥には森がある…」といったふうに、ただそこにあるものの名前を呼びかけることがそのまま祝福になっているのでなければ、本来の意味での祝福ではないのだと思います。
呼びかけているうちに、じーんと愛情がにじんで、相手や周囲にもそれが伝わっていく。そんな祝福が自然にできる環境を整えて。
ほめ方の妙
バブルがはじける以前のJ-POPには固有名詞があふれていましたが、90年代半ば以降、普通名詞がぐっと増えて、歌詞の抽象度が上がっていったように思います。
サザンオールスターズ然り、ユーミン然り、さだまさし然り。
彼らの歌が国民歌謡として広く浸透し人々に愛されていったのは、歌そのものが祝福だったからではないでしょうか。
逆に言えば、彼らはみな、どこかしらの地名や具体的な形式と密接な関係性をもっており、それらの上に人気の基盤を築いていったわけです。そう考えてみると、彼らは自分の身に起きた祝福を先取りしていたのかもしれないですね。
褒め合いは、言い方を間違えれば薄気味悪いものですし、呪いにもなって転じてしまいやすい。だからこそ、今週はほめ方ひとつ取っても、滋養のあるものにしていきたいものです。
今週のキーワード
予祝