おひつじ座
かけがえのない友情
ひとりの友
今週のおひつじ座は、「わたしが」と「わたしを」の対話のあいだに入るコルクの浮きのごとし。すなわち、友情を通して、自分自身を救いあげていくような星回り。
人生は長い自問自答、「わたしが」と「わたしを」が熱中している対話のようなものと言えるかもしれません。
何を見て、誰と会っていたとしても、私たちは心の中で彼らの会話を聞き続けているし、逆に言えば彼らの会話以外のものをほとんど聞いていないのです。
でもだからこそ、私たちは人生の半ばを迎えると、彼らの対話が深い奈落の底に沈み込んでしまわぬように、そこへ割って入ってくれる「浮き」のような存在を自然と求めていくのだとも言えます。ニーチェならそれを「ひとりの友」と呼んだことでしょう。
今のあなたには、そんな「ひとりの友」はいるでしょうか?
あるいは推察と沈黙にすぐれた、かたわらにある純粋な孤独であり、澄み切った大気であり、透徹したまなざしであるところの者に、あなた自身はなり得ているでしょうか?
どうも今週は、そうした関わりの質を改めて見極めていく期間になっていきそうです。
似て非なる友
古代ローマの著述家で、アレクサンダー大王などを取り上げた『英雄伝』で知られるプルタルコスは、『似て非なる友について』という題名のエッセイも残しており、そこで彼は特に「真の友人」と「追従者」とを区別することの大切さを口酸っぱく強調しています。
これみよがしなおべっか使いなら話は簡単。
厄介かつ用心すべきなのは、例えば自分はへつらってなどいませんよとアピールしてくる者、秘密の話の仲間に入り込みたがる者、茶番劇ではなく悲劇役者のように友人役を演じる者などであると、プルタルコスは言っています。
確かに彼の言う通り、追従しているとは気付かせない追従者は、知らず知らずのうちにあなたの魂を盲目にし、真実からあなたを遠ざけるでしょう。
反対に、あなたを真実に近づけてくれるのは、「自分の意志に従って私の決断と同じになる友人」であり、その最たる特徴は、「何もかもあっさり認めるとかいうことはせず、本当に良い点だけを真似し、認めもする」点にある。
そして、「決してともに過ちを犯しともに悪事をはたらく者」ではないということも、同じくらい強調しています。
プルタルコスのこうした友に関する一連の指摘はどれも鋭く的確ですが、1つだけ付け加えるとすれば、それは相手の「沈黙」を尊重するということの大切さでしょうか。
今週のキーワード
男女の情はやがて冷めるが、友情はいつまでも続く