おひつじ座
自意識はつまらない
本領発揮の全肯定
今週の座は、「冷蔵庫西瓜もつともなまぐさし」(山田みづえ)という句のごとし。あるいは、誰からも嫌われぬようになんて、とてもできない自分をそのまま肯定していくような星回り。
「もつとも」と言うのだから、冷蔵庫の中には他にも肉だとか魚だとかの生臭そうな物も入っているのでしょう。ただ、作者には意外にもその中でひときわ「西瓜(スイカ)」が生臭く見えた。そんな生活の中での発見が光る一句です。
スイカにも独特の匂いがあり、そうした匂いのためにスイカが嫌いだという人もいますが、作者はそういうことを言っているのではなく。
スイカは季節もので場所もとるし、色は鮮やかで、ひと玉を幾つかにカットしたものを冷蔵庫の中に入れていても冷蔵庫内の景色をがらりと変えてしまう。そんな存在感が作者のような人間には「生臭い」と察知されたという話。
人間にも、存在感が生臭くなってくる季節だったり、周囲の環境との取り合わせみたいなものがあったりします。それは細胞がにわかに生き生きと沸き立って、本人がその本領を発揮しはじめる兆しであり、それに基づく違和感の変奏なのかも知れません。
今週はそんな自分に身に降りかかった変化を、ただそういうものとして受け入れていくことがテーマとなっていきそうです。
迷いを払うために
ニーチェの『喜ばしき知恵』(村井則夫訳)の中に「世捨て人」と題された次のような章があります。
「隠遁者とは何をしている者だろうか?彼はより高い世界を希求し、あらゆる肯定の人間よりもはるか彼方へ、より遠くへ、より高くへ飛翔しようとする。—彼は、飛翔の邪魔になる多くのものを放棄するが、その中には、彼にとって必ずしも無価値でもないし、不快でもないものが多数含まれている。彼はこれらを、高みへの欲望のために犠牲にするのだ。
この犠牲、この放棄こそ、人の目に映る彼のすべてである。そのために世の人は、彼に世捨て人という名称を与え、彼の方でもそうした装いでわれわれの前に現われる。頭巾を深々と被り、獣皮のぼろをまとった精神として。こうした身なりが及ぼす効果に、彼はおそらくご満悦である。」
なるほど、ここでされている指摘は、一見するとただ愚直に進み続けるおひつじ座には無関係のように思われるかもしれません。
しかし、進んで犠牲になったり、世間から隠れてみたりといった神秘的な成分たっぷりのアイデンティティーを持っている人もまた、「こうでありたい自分」を欲望しているのだ、というニーチェの鋭い皮肉は、意外と感傷に囚われがちなおひつじ座の迷いを払ってくれるには十分でしょう。
自己欺瞞を吹き飛ばしてしまえば、後に残るのは素朴な感情や衝動なのだということを改めて胸に刻んでいきましょう。
今週のキーワード
自意識は自己欺瞞の母