しし座
人生に神聖さを取り戻していく
固有名詞のある暮らしへ
しし座にとって2023年上半期が、自分ひとり、ないし信頼できるごく少人数の人間のあいだでみずからの「信念や理想」を確認したり密かに共有していった時期だったとすれば、2023年下半期は、自身の「立場や方向性」を広く社会に対して明確に示すべく、後戻りできない一歩を踏み出していく時期となっていきそうです。
その際、大事になってくるのは「名前をつける」ということ。お店やサービス、グループ名や何らかの活動名であれ、この世にそういうものがあるのだと言い切るためには名前を呼んであげる必要があります。そして、この目に見えたものの名前を呼ぶという行為は、古代の「国誉め」の儀礼がそうであったように、そもそもそれ自体が祝福なんですね。
例えば、同じ「珈琲を飲んだ」という体験を語るにしても、「チェーンのカフェで珈琲を飲んだ」のと、「新宿のベルクで珈琲を飲んだ」のとでは、体験の厚みというか、想像される情景の生々しさみたいなものがまったく違います。固有名詞をもった実体には、機械的に処理できる記号にはない、色や匂い、音や空気感といった具体性が付与されてくるし、何より呼べば呼ぶほど愛着が増してきて、周囲もなかったことにできなくなる。
実際、ベルクという知る人ぞ知る喫茶店は、新宿駅の駅ビルに入っており、これまでに家主である駅ビル側から立ち退き要求を受けているのですが、その度に店側はそれを拒否しており、それに呼応するように常連客を中心に営業継続を求めるたくさんの署名が集まるなどして、結果的に2023年6月現在も営業し続けています。
その意味では、2023年下半期のしし座のテーマもまた、みずからの生を「ベルク化」していくこと、という風にも言えるかもしれません。そうして、暮らしを記号の寄せ集めから、固有名詞を中心とした具体的な手触りのあるものにしていく。それは、みずからを世間や大企業の思惑に流されるままの消費者にするのでなく、確かな信念や意志をもった価値提供者にしていく反撃の狼煙ともなっていくはずです。
2023年下半期:しし座の各月の運勢
7月「不思議を引き起こす回路」
7月6日に前後して、しし座を運行中で「突進力」を司る火星が、「目に見えない領域」を象徴する海王星の要請を受けとるべく鍛錬していきます(150度)。これは言わば「念力を飛ばす」配置ですが、スムーズにスイッチが入っていくというより、むしろ悪戦苦闘の末にコツをつかんで、自分の中に新しい回路ができるといった類のものでしょう。
その意味で、この時期は決して宝くじで当たりを引くような、棚ぼた的幸運がもたらされる訳ではありませんが、これまで周囲から無駄な努力や的外れな試みと見られていたものが、意外な成果や想定外の相手とのつながりをもたらすといった形で現われてきやすいはず。
8月「王様は裸だと言った子ども」
8月16日の新月には、しし座を運行中で「世界との向きあい方」を象徴する太陽が、「反骨」の星である天王星と激しく揺さぶりあっていきます(90度)。天王星は、安易な同調圧力には決して迎合しない性質があるため、それが公的にも私的にもに強烈に働いていくこの配置では、これまで以上に世の中の常識や周囲の流れに合わせる気がなくなって、たった1人で面白さを追求しようとするでしょう。
結果的に、王様は裸だと言った子どものように、世俗的な欲求は消え失せて、「ただ純粋に自分自身でありたい」という願うようになるのかも知れません。
9月「好きをめぐる転回」
9月17日に前後して、しし座を運行中で「好きの感情」を司る金星を、「拡大と発展」の木星が激しく揺さぶっていきます(90度)。これは「ちょっと好き」とか「好きかも知れない」といった小手先の“好き”を超えた、「どうしようもなく好き」とか「好きすぎて〇〇してしまった」といったヤバさを伴う前のめりな“好き”であり、ここまでくると大抵の場合、生活の形そのものが変わっていきます。
これは例えば、猫を飼っている人ならよく分かるはず。当初は自分が猫から楽しみをもらう側のつもりでいたのに、いつの間にか猫をいかに楽しませてあげるかというスタンスに変わってしまう。ここでも、そんな「好き」をめぐる転回があなたの身に起きていくことになるでしょう。
10月「冒険の日常化」
10月6日に前後して、しし座を運行中で「楽しみごと」を表す金星が、「異界や極限」を象徴する冥王星の影響を取り込もうと意識的に努力していくような配置をとります(150度)。極端で異様なものというのは、普通は「かわいい」とか「楽しい」と思うより、本能的に「怖い」とか「近づきたくない」と感じて避けるものですが、ここではむしろそういうものに積極的に近づいていこうとする訳です。
こう言うと、それはもはや狂っているのでは?とツッコミが入りそうですが、大自然であれ文化であれ、原初的になればなるほど、星影のない夜の底知れぬ暗黒のように、妖しい恐怖と戦慄に満ちているもの。結果的に、それは他の人がまず持ち得ない特異な個性となって、本人と切っては切り離せないものになっていくでしょう。
11月「見るべきものを見るために」
11月13日のさそり座新月では、「人生にもたらされる新たな可能性」を表す太陽と月の組み合わせに、「変則性」の天王星がストレートに流れ込みます(180度)。天王星は規則的で決まりきったものを徹底的にかき乱すという影響をもたらしますから、この配置はかなりの「波乱」を引き起こします。
例えば、現代社会ではもはやスマホは当然のこととして、SNSや動画系アプリを入れてそれで情報取得するのも当たり前になっています。ただ、それらは「見るべきものがあるから見る」という意識的決定に基づいて利用されているというより、無意識的に時間を吸い取るように設計されているはず。逆に、「見るべきものがある」のは、積極的に見ようとして、それができる場合に限られるのです。その意味で、この時期は、あえてSNSや動画系アプリを削除してみることで、世界に対する見方や一日の過ごし方がどう変わるか、という実験期間のような形で実現させてみるのも手でしょう。
12月「あらゆる仕事がゲーム化していく時代に」
12月16日に前後して、しし座の守護星で「創造性」を司る太陽と、「非現実領域」を司る海王星とが互いを激しく揺さぶっていきます(90度)。これは例えば、汗水たらして働くという頑張り方のモデルを、ゲームで遊んでいるような感覚に置き換えていくことをイメージすると分かりやすいでしょう。
ゲームには、固定された目標しかない“有限ゲーム”と、プレイし続けること自体が目的で、ルールも途中で変更可能な“無限ゲーム”の2種類がありますが、言ってみれば、子どもを育てることも、会社を経営することも、架空の世界をプレイすることも、すべて無限ゲームなんですね。そしてここでは、そうした継続的で進化する仕事としての無限ゲームをどれだけ深められるかという観点から、今後のキャリアや活動の方向性を捉え直していくことになるでしょう。
2023年下半期:しし座の「おすすめの文豪」
正岡子規
病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。
これは俳句・短歌を確固とした文学の領域に位置づけた改革者として歴史に名を残し、夏目漱石をはじめとして多くの弟子を育てた正岡子規が、結核闘病のすえ、わずか34歳の若さで没するまでの5か月間に執筆された日記的随筆『病牀六尺』の冒頭の一文です。
子規は、病床から見る風景を克明に描写していきました。何を食べ、誰に会い、どんな話を交わしたのか。主観を排した淡々とした描写が、逆に世界の広がりとそこで懸命に生きる人間のけなげさを浮き彫りにする。こうした、見たまま、聞いたまま、そして思ったままを言葉にするということは、今でこそ当たり前のようですが、20世紀前後の当時の日本語では、とても難しいことでした。子規はそんな大それた試みを、病床の六畳間からのびのびとやってのけたのです。
彼はまた、新進気鋭の批評家として、それまで神聖視され、俳壇の権威たちから深奥極まりないと崇められてきた松尾芭蕉の『古池や蛙飛びこむ水の音』という句に対し、次のように切って捨ててみせました。
眼に由りて観来る者は常に複雑に、耳に由りて聞き得る者は多く簡単なり。古池の句は単に聴官より感じ来れる知覚神経の報告に過ぎず(略)(『芭蕉雑談』)
これは言ってみれば暴論に等しいものではありましたが、「知覚神経」も当時まだ渡来したばかりの舶来語で、その背景にある心理学や美学、西洋美術に関する知識や思想などの最新文化をまじえて、縦横無尽に句を論じてみせる俳人は、子規以外にいませんでした。そんな子規は、芭蕉を落とす一方で、歴史に埋もれていた与謝蕪村を掘り起こし、絶賛するなど、さまざまな点で他の俳人たちとは異質な存在であり、賛否両論を招いたものの、その考え方はやがて近代的教育を受けた若者たちを中心に急速に広まって受け入れられ、新しい潮流をもたらしていきました。
確かな信念や意志をもって、新しい価値を提供する側へ回っていこうとする今期のしし座もまた、こうした子規の革新性を支えた底力に着目し、自身にも取り入れてみるべし。
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