
みずがめ座
方法論としての土着

方法論としての土着
2023年上半期までのみずがめ座が、これまでの約9年間の道のりを振り返りつつ、自分なりの信念や哲学のようなものを打ち立てていくことをテーマにしていたとすれば、2023年下半期はみずがめ座にとっていよいよ「決断と地固め」の時期であり、何らかの組織であれ地域であれ、どっしりと根をおろして活動の基盤を作っていくことがテーマになっていきます。それは言うならば、都心での生活に見切りをつけて地元へと「帰郷」していくUターン就職者のようとも言えるかも知れません。
いや厳密には、地元であれ都会であれ、「土とつながっている」ような在り方ができるかどうかがここでは大事なんです。これは芸術や文化に限らず、どんなジャンルでも言えることですが、前衛的であるとか、時代を先取りしているとか、分かりやすく斜め上にぶっ飛んでいたりすると、何かと面白がられはしますが、そういうものは一時的にうまくいくことはあっても、どうしても短命に終わっていきやすい傾向がある。なんとなくそれっぽいというだけだから。今のみずがめ座も、どこかそういう在り様に飽き飽きしているはず。
その点、無器用でも、遅れていても、拠点とする土地の色や匂い、自然や歴史など、深く複雑につながることのできた人間というのは、やっていることに自然と野太さが混じってくる。そしてその相貌や面影もまた、どこか古代的になってくる。
ここで思い出されるのが、飯田蛇笏(だこつ)という俳人です。彼は明治の終わりに早稲田大学へ入って、そこで俳句や詩や小説などを創作し、同人誌や雑誌に発表して若山牧水などの文学仲間と切磋琢磨していたのですが、ある時に家業を継ぐことになって、蔵書一切を売り払って故郷である山梨に帰ってしまいます。それで、かつての文学仲間も一時は彼のことは忘れるしかないと考えていた訳ですが、その実、本人のほうでは農業や養蚕のかたわら句作を続けており、甲斐の地に分け入っていくかのように自身の作風を確立し、さらに幾度となく作風を変質・円熟させながら活動を続け、やがて歴史に名を残しました。
彼のようにとまではいかなくても、今期のみずがめ座の人たちもまた、「方法論としての土着」ということを、ひとつ意識して取り組んでみてはいかがでしょうか。
2023年下半期:みずがめ座の各月の運勢
7月「内陸を超えたヴァーチャルな海」
7月15日前後には、みずがめ座の守護星で「横の動き」の星である天王星と、「主体性」の太陽とが阿吽の呼吸で力を合わせて協働していきます。この時期は、業界や派閥、地元や自国の内と外とを明確に分けていくような、世界観を乗り越えていくような動きが活発化していきます。全体運の記述と矛盾するようではありますが、そういう内陸の平地文化みたいなものにおさまらない、ヴァーチャルな海みたいなものが展開されていくみたいな感じです。
結果的に、どこかしらの“土地”に紐づいた自分なりの視点を維持しつつ、ここでは広く世界の情報や最新の動きにもしっかりと耳を傾けるためのアンテナやネットワークを何らかの形で仕込んでいこうとするはず。
8月「厄介な魅力の磁場」
8月10日頃には、みずがめ座の守護星で「自主独立」を司る天王星と、「美意識」を司る金星とが互いに強く揺さぶりをかけていきます(90度)。ここでは、単に社会に飼い馴らされて歳を取るだけでは決して出てこないであろう、厄介な魅力がうごめき出します。すなわち、聞いた相手がびっくりするようなことを言い始めたり、たとえ評価を得ていてもそれを破り捨ててしまうような、「奇」や「狂」や「偏」があなた自身の中から現われてきたり、あるいはそういう独特な雰囲気の知り合いと接近していったり。
この時期は、そうしてあなたの周りに妙な磁場のようなものが形成されていくことでしょう。
9月「ゾミア的な人びと」
9月30日から翌日にかけて、「タブーを超える」天王星が、「実行力」を象徴する火星の影響を自身にねじ込んでいこうとします(150度)。この配置は、どこか東南アジアの山岳地帯で暮らす焼畑農耕民「ゾミア」を思い起こさせます。従来、彼らは単に文明的に遅れた人たちと見られていたのですが、最近になって国家の管理や搾取から逃れるために自主的に定住農耕を放棄したのだという見方がされるようになったのです。
つまり、生き延びるためには、“進んだ文明”を投げ捨て、国家の外たる“辺境”とされる場所に出る方が、その内側で死に体になりながら頑張るよりも、よっぽどましじゃあないか、と。そんなことを単に思い描くだけでなく、何らかの「行動」で示していくことができるかも知れません。
10月「翻訳と再発見」
10月18日頃には、「独自性」を象徴する天王星が、今度は「言葉の能力」を司る水星の影響をみずからに取り込んでいこうと意識的に努力していきます(150度)。これは喩えるなら、母国語で書いたエッセイなり詩の一節なりを、外国語に翻訳していく作業に近いでしょう。うまくいけば、結果的に当たり前すぎて見過ごしていた“自分らしさ”を改めて発見していくことができたり、これまでとはまったく異なる層に自分の考えを伝えていくことができるはず。
詩人の平出隆は翻訳作業というのは「論理性と音楽性が共振れを起こすところまで」求められるものなのだと書いていましたが、ここでも果たしてどこまでそうした高い基準を自身に課していけるかが問われるかも知れません。
11月「コンヴィヴィアリティを掲げる」
11月13日には、みずがめ座の守護星である天王星と向かい合う形でさそり座新月が形成されていきます(180度)。この新月は、みずがめ座から数えて「世間との窓口」を意味する10番目の位置で起こりますから、良くも悪くもこの時期は周囲へのあなたの影響力が非常に高まっていくでしょうし、逆に影響も受けやすくなるはず。うまく利用できれば、高度にシステム化された資本主義社会のなかで、家畜(社畜?)へと適応させられがちな流れを自分を起点にして少なからず変えていくことができるはず。
あるいは、この時期は周囲や身近な他者との関係において「コンヴィヴィアリティ(自立共生的実践)」を実現させていくことができるかがテーマになっていくのだとも言えそうです。
12月「治外法権地帯に身を置いてみよう」
12月21日頃には、「壁を壊す」天王星と、「親密になる」金星とが互いを鏡にして働きかけあっていきます(180度)。この配置は、治外法権地帯としてのヌーディストビーチのようなイメージです。
と言っても、それだとあまりに日本的ではないですから、猥雑な健康ランドくらいが一番近いかも知れません。そこでは孤独な魂たちの、顔の見えない、何が本当なのか分からない、それでも生きている、という空気の半透明の感触があって、みな思いのままに自分自身となり、また他者でもあることができるという特権を与えられている。この時期は、あなた自身がそういう場の役割を担っていったり、実際にそういう場に惹きつけられてもいきやすいでしょう。
2023年下半期:みずがめ座の「おすすめの文豪」
島尾敏雄
島尾が太平洋戦争末期、神風特攻隊に志願して九死に一生を得て帰還した学徒兵であったことはよく知られていることであり、ついでに言えば、180名ほどの部隊を率いて赴いた加計呂麻島で将来の妻となるミホと出会い、結婚したことでも有名です。
まさに生と死の両面とを過激なまでに追求した人物であり、その作品も未遂に終わった臨死体験のつづきを彷徨い歩いているような『夢の中での日常』などの系列と、夫の不倫を糾弾・尋問し神経が狂ってしまった妻を題材にした私小説『死の棘』などの系列にきれいに大別していくことができます。
例えば、特攻隊長として予定された死の間際で、その死を準備していくための狂った日常を描いた『出発は遂に訪れず』に出てくる、次のような描写。
そして、私の身体に筋金が一本はっきりと通り、早く発進の命令の来ることを願った。一刻も早く苛烈な戦闘場裡にはいって行って運命をためしてみたい気になって来た。私の地は湧き立ってきた。恐らくは私の容貌にも酷薄な凄味を加えて来ただろうと思えた。
もし今夜も昨夜のくりかえしに終わって私たちの出発が無視されたら、すべてはむしろ悪化し腐りはじめるだろう。やりかけて中途になっているはたらきは、未遂で終わったその断面がなまあたたかくふやけ、いったん氷結させられたためにいっそうはね返って手のほどこしようのない症状を示してくるに違いない。
そう、島尾がもっとも恐ろしい体験として南の島で味わってきたのは、決死の覚悟の瞬間にさえ、日常の生の倦怠が容赦なく混じり込んでくることであり、すでにここには、戦後の平和のうんざりするような退屈さが、カビのようにはびこっていた訳です。
興味深いのは、この作品が戦後17年も経過してから書かれていることであり、その間に連載され第一次刊行もされた『死の棘』の次のような夫婦の会話とセットで捉えてみると、島尾という人間の魂が戦後もずっと南洋の孤島に留まったままだったのではないかという考えがにわかに浮かんでくるはず。
「あなたはおそろしいひと。(…)やっぱりあたしは生きているわけにはいきません」
「じゃぼくも生きているわけにはいかない」
「そんなこと言って、こどもはどうするの?」
「この世に残して行くのもふびんだから、みんな一緒に毒を飲もう」
「そんな勝手なことが、あなたは平気で言える!」
「じゃ、どうしろというんだい」
「どうしろって……」
「おまえはもう生きていけないんだろ」
「ええ」
「ぼくも生きていけない。いつ死んでもどうってことはない。別々に死んでもいいが、せっかくこうして毎日言い争って暮らしてきた仲なんだから、ついでに一緒に死のう。こどもはかわいそうだが、こんなぐうたらのにんげんを親にしたんだ、もう少し大きければ置いて行ってもいいが、少し年が小さ過ぎる。あきらめてもらおう」
「あたし、やっぱりひとりで死にます」
「どうしてもひとりで死にたいなら、それでもいいよ。でも、ぼくもこどもらを道連れにして毒を仰いで死ぬからね」
「あなたは生きていて子どもたちを育ててください」
「いやなこった。もうなにもかも、いやーになってきた。おまえ、死にたくなければ死ななくてもいいんだよ」
「あなた、どうしても死にますか」
「うん」
島尾が実際に死ぬのは、ここ書かれた時期よりだいぶ後のことになる訳ですが、とはいえ、『死の棘』の完成に至るには、妻ミホの郷里である奄美への移住などを経て、じつに17年の月日がかかりました。
その意味で、どっしりと根をおろして活動の基盤を作っていくことや、「帰郷」がキーワードとなる今期のみずがめ座にとっても、島尾の生き様と文学への姿勢は大いに参考になるのではないでしょうか。