
うお座
芸と空気は飲んでも飲まれるな

意図せず始められた実験旅行へ
うお座にとって、2023年上半期が人や世間に揉まれているうちに、見た目の雰囲気だけでなく、その内実や感じ方まで変わっていきやすい「変容」の季節だったとすれば、2023年下半期のうお座は、これまでいた環境や古くなった居場所から離れ、その<外>へと移動し、自身をありうべき未来へと繋げていく「渡り鳥」の季節と言えます。
さて、「旅行は好きか」と聞かれたら、さあ、と考え込んでしまう人も少なくないはず。うお座の人たちであれば、実際に自分が旅行するよりも、旅に出ることをぼんやり空想している時間や、他人が旅をした話を聞いたりすることの方が好きだという人も少なくないのではないでしょうか。その意味では、今期の影響はうお座にとって、実際の別離や移住を伴うような直接的な形としてよりも、新しい別人格が生まれてそれがひとり歩きしていくといったような、間接的な形で現われてくる可能性の方が高いかも知れません。
ここで思い出されるのが、ポルトガルのフェルナンド・ペソアという詩人です。この人は南アフリカで育ってから、祖国であるポルトガルへ帰って、リスボンの貿易会社でビジネスレターの翻訳の仕事で生計を立てながら、いたって地味な生涯を終えているんですが(死後になって国民的作家として評価された)、じつは分身づくりの達人でもありました。というより、彼にとって詩作とは別人になり代わることに他ならなかったのです。
ペソアは自分の他に、名前も、文体も、ライフストーリーも異なった詩人を3人もつくり出し、まるで本当に赤の他人になったように詩集を発表していました。それは、英語教育を受けて育ちながらも、祖国に帰ってからはもともとの母国語であるポルトガル語でのみ書いたという言語環境も大きく関係していたのかも知れません。例えば、アルヴァロ・デ・カンポス名義の詩に、次のようなものがあります(『ポルトガルの海』)。
いまのぼくは なれるはずのなかったぼくで
みずからなることのできたぼくではない。
これは、またベルナルド・ソアレスの手記として書かれた、
人生は意図せずに始められてしまった実験旅行である(『不安の書、断章』)
という一節と、互いに響きあいながらひとつの音楽的つながりとなっています。おそらく、今期のうお座の通奏低音となっていくのも、こうした類いの旋律でしょう。
2023年下半期:うお座の各月の運勢
7月「霧を晴らすかのように」
7月6日頃には、うお座の守護星で「曖昧な輪郭に留まりがち」な海王星が、「一歩前に飛び出す力」を司る火星の影響を意識的に努力して取り込んでいこうとします(150度)。これはいわゆる“サイキック”な配置の典型ですが、より具体的には、この時期は普段なら自分の視界に入らないような「死角」にあたる相手や領域にこそ注意を向け、働きかけていきやすいでしょう。
「アウト・オブ・サイト、アウト・オブ・マインド」なんて言葉があるように、視界に入らないことやものというのは、私たちにどうしても軽んじられ、忘れ去られてしまいがちです。しかし、ここではむしろ普段「見えない」ものを見ようとしていくし、見るだけでなく手を伸ばし、働きかけていこうとする。うまくいけば、その体験は、あなたの視野を文字通りグーっと広げてくれるはず。
8月「あなたなりの酔拳を」
8月20日頃には、うお座の守護星で「酩酊」を促す海王星が、「主体性」を司る太陽の影響力をぎゅーっとねじ込んでいこうとします(150度)。これは言うならば、酔拳の使い手のような配置です。
海王星(アルコール)は人間を波ごと呑み込んでしまう海のごとく、乾いた現実を潤すどころか、台無しにもしてしまいがちですが、この配置では、怠慢に陥るどころか、むしろその状態だからこそキメられる必殺技をかましていこうとする訳です。宴席で身体を張って場を沸かせ、仕事上の重要なリレーションを作るもよし。魔法の靄を現実へかける側となるべく、スペシャルな作品づくりやサービス作りに邁進するもよし。とりあえずジャッキー・チェンの『酔拳2』を先に見て、感覚をつかんでおこう。
9月「夕占日和」
9月19日に前後して、うお座の守護星で「ロマンチシズム」を象徴する海王星が、今度は「個人の意思」の太陽をターゲット化していきます(180度)。この配置は、さながら海の中に沈んでいく夕日のような情景であり、そこでは昼の間ははっきりとしていた個の輪郭が溶け合って、境い目も曖昧になり、誰でもあるかも知れないし、誰でもないかも知れないという、“おぼつかない”ものの集合体になっていきます。
古来日本では、そういう状態でおとづれてくる言霊でもって、自分がどういう行方なのかを感じ取って、それを「夕占(ゆうけ)」と呼んで、橋や辻などの雑踏で実践してきました。この時期のあなたもまた、フッとやってきたメッセージを受けとるという儀式に丁寧に臨んでみるといいでしょう。
10月「友愛の神秘」
10月2日頃に、うお座の守護星で「言葉にならない思い」を表す海王星が、「コミュニケーション」を司る水星に全力で宿っていこうとしていきます(180度)。この配置は、どこか死者との交わりを想起させます。
ローマ時代の哲学者キケロは『友情について』の中で友情とは、「死してなお交わりが深まる」何かだと述べていますが、この場合の「死者」とは文字通りすでに故人になったかつての友人かも知れませんし、時代を超えて深い共感を抱いた作家や思想家でもあるかも知れません。普通はそんなものより、生きた交わりや、現実的な影響力が強い相手にこそ思いはせるべきだということになる訳ですが、起こるはずがないことが起こるのが愛というものであり、ここではそちらの方が大事なのです。
11月「夢をふくらませていく」
11月4日に前後して、うお座の守護星で「夢」を司る海王星が、今度は「交流」の金星の中に飛び込んでいこうとします(180度)。この配置は、さながら夢語りの場のごとし。
日本の中世社会では、神仏や死者から届けられた夢を語り合うことは社会活動の一つであり、その中で夢は未来の自分のあるべき姿を示すものであり、それに向かって行動する対象でもありました。その意味で、この時期はそんな中世のような夢語り共同体があなたの周りにおのずと形成されていくことになるかも知れません。
その際、ひとつアドバイスがあるとすれば、誰かの夢の話を聞いている時にただ黙って閑に聞いているのでなく、不思議に思ったり疑問がわいたら話し手にどんどんぶつけてみるといいでしょう。こうした応答を繰り返すことで、夢は徐々に明らかになり、周囲を巻き込んで共有されていくのです。
12月「分岐点としての迷子」
12月16日頃には、「喪失」を象徴する海王星が、「創造する力」を象徴する太陽に強力に揺さぶられていきます(90度)。この時期は、迷子になってしまった時の体験に通じるところがあるでしょう。迷子になるとは、自分が失われるということですが、そこには2つの意味があります。ひとつは、確実だと思っていた未来への道のりも、過去の歩みも消えてしまうということ。そしてもう一つは、世界が以前知っていたよりも大きなものになっているということ。
いずれにせよ、人生をコントロールする術や確信は消えているものの、ここでそのどちらに転んでいくかによって、今後のあなたの道行きは大きく変わっていくはずです。
2023年下半期:うお座の「おすすめの文豪」
池澤夏樹
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星をみるとかして。
これは池澤の中編小説『スティル・ライフ』の序盤に登場する一節です。まだ自分の生き方を模索している年頃の「ぼく」と、バイト先で知り合った少し年上の佐々井と名乗る友人との、短くも不可思議な交友を描いた作品なのですが、特に読者の印象に残るには、そのストーリー展開に負けず劣らず、「ぼく」と佐々井のあいだで交わされる「理系っぽい」会話や、それでいて抒情性たっぷりのその語り口でしょう。たとえば、雪をめぐるこんな描写。
雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けてきた。ぼくはその世界の真ん中に置かれた岩に坐っていた。岩が昇り、海の全部が、膨大な量の水のすべてが、波一つ立てずに昇り、それを見るぼくが昇っている。雪はその限りない上昇の指標でしかなかった。
ここで読者を感動させるのは、おそらく修辞そのものの巧みさというより、ヒトが地球との関係において取りうる位置取りをめぐる思考の奥行きであり、そこに地球との和解を予感させるような、ある種の“新しさ”が潜んでいるように感じられるからでしょう。
他にも、情報過多の社会で自らの生き方に疑いを覚える女性火山学者を描いた『真昼のプリニウス』や、ヒマラヤの奥地に風力発電の技術協力で赴いた主人公が現地の人々の暮らしに惹かれていく『すばらしい新世界』など、池澤の文学は書かれてから30年以上経った作品でも、その“新しさ”が色褪せません。
そして、古くなった世界から離れ、その<外>へと移動したり、自身をありうべき未来へと繋げていこうとする今期のうお座にとっても、こうした池澤文学の”新しさ”は、未来への足どりや方向性を確かなものにしてくれるものとして作用してくれるはず。
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