isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
今週のおひつじ座の運勢
祝福の内実
今週のおひつじ座は、傍観者でいることをやめて、生成途上にある世界全体にみずからをぶつけていくような星回り。
生真面目な公式文化に対立するものとして、ロシアの文学研究者バフチンは民衆的な笑いの文化を、非公式的な民衆文化の本質なのだと指摘しましたが、そうした意味での<笑い>とは一体どんなものだったのでしょうか。それはカーニヴァルに代表されるような祝祭の場に見られるような笑いであり、バフチンはその特徴として、①皆が笑う②皆が笑われる③アンビヴァレントである、の三点を挙げました。
すなわち、皆が笑いもすれば笑われもするのが民衆的な笑い、カーニヴァルの笑いであって、そこでは一個人が滑稽なのではなく、世界全体が滑稽であるがゆえに笑うのです。それは陽気な歓声をあげる笑いである一方で、愚弄する嘲笑でもあり、民衆は「生成途上にある世界全体からみずからを除外」せず、民衆もまた「未完成であって、やはり死に、生まれ、更新される」ことができるのです。
そうしてバフチンは「近代の風刺的な笑い」と区別したこの笑いは、人間を「否定しつつ肯定し、葬りつつ再生させる」のだと述べています。あなたもまた、そうしたアンビヴァレントな笑いの中にみずからを投げ込んでみるといいでしょう。
今週のおうし座の運勢
暗がりを通過する
今週のおうし座は、現時点で絶対的と感じられたものを、かりそめに置いていくような星回り。
「背中より水へ倒るる夏休み」(西山ゆりこ)は、背中側に水のかたまりがあることと、今が夏休みであることが、共にまったく疑われていないがゆえに成り立っている句。逆に言えば、そこがプールや海で、タイミングが夏休みでなければ絶対にいけない句でもあるはず。そうした絶対的な時と場所の組み合わせがそろう時、人は安心して背中から倒れることができるのであって、それは死に様を求めるということとどこかで通じているように感じます。
そして、これぞという死に様を見つけられた人は、それだけで幸せでしょう。そう考えると、掲句はこの時点での作者の「辞世の句」として受けとっていくこともできます。
もちろん、また別の時と場所で絶対的なものを感じたときは、また辞世の句を詠めばいい。そうやって生き継いでいくのも、生き抜くためのアート(技)なのではないでしょうか。あなたもまた、それくらいのつもりで辞世の句を詠んでみるといいかも知れません。
今週のふたご座の運勢
亡霊を置き去りに
今週のふたご座は、より大胆に可能性を利用していこうとするような星回り。
古代ギリシャのアルキメデスは、シチリア島シラクサの王から王冠の純度を調べるように命じられ、その方法に悩んでいたとき、風呂に入っていてたという。そこで水があふれるとともに自分の体が軽くなることに気付いて、いわゆる「アルキメデスの原理」を発見し、王冠に銀が混じっているのを見抜いたと言います。
こうしたふとした気付き(インスピレーション)の到来は、いつだって精神の動きの中で起こるものですが、逆に言えば私たちはそのラクさゆえに、どうしても動きを止めてから思考を開始するのを当たり前のことだとつい思い込みがちです。
あなたもまた、亡霊としてフォルム(残像)を置き去りにするべく、自身の内側から湧き出してくるフォルムングに身を任せていきたいところ。
今週のかに座の運勢
瞳のなかを星に塗る
今週のかに座は、これまで見えなかったものが見えるようになっていくような星回り。
「鵺(ぬえ)」とは、『平家物語』や『源平盛衰記』などで御所を騒がせたとされる怪物で、「頭が猿で、胴は狸、尾は蛇」でいずれも妖異をもたらす動物のキメラであり、さらに翼が生えていることから、古来から「魂を運ぶもの」として畏怖された鳥としての特徴も備えていました。
現代では、そこから転じて掴みどころがなく得体の知れない人物の喩えに使われていますが、その意味では、どんなに時代がたち夜が明るくなったとしても、どこの社会にも「鵺」は目撃され、人々の噂のなかで生き続けるのではないでしょうか。
「鵺あちこち瞳のなかを星に塗る」(宮本佳世乃)で詠まれている「鵺」とは、社会の周辺に排除された者や、権力に敗れた者の象徴であった「鬼」たちの中でも、暗黒の他界から富と力を持ち帰る力にすぐれた越境者でもあったのかも知れません。あなたも「瞳のなかを星に塗る」ことで、そうした見えない富と力の消息が、すでに自分の手のうちにあることに気付かされていくことになりそうです。
今週のしし座の運勢
これでよし
今週のしし座は、誰に媚びるでもなく、時代に流されるのでもなく、自身の歩むべき道を見出していこうとするような星回り。
俳句の宗匠(マスター)となって賑やかな日本橋界隈に住んでいた松尾芭蕉は、三十七歳の時に突如として、当時は辺鄙な場所であった深川の粗末な小屋に移り住みました。そして、それまでの売れ線の俳句とは異なる独自の作風を確立し始めたのです。その頃に詠まれた「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」という句に添えて、歴史小説家の中山義秀は『芭蕉庵桃青』の中で次のように書いています。
「彼はその頃からして、体内になにやらうごめく力を感じていた。小我をはなれ眼前の現象を離脱して、永遠の時のうちに不断の生命をみいだそうとする、かつて自覚したことのない活力である。/その活力が「烏(カラス)のとまりたるや」という、字あまりの中十句に、余情となってうち籠められている。」
中山もまた、早咲きの同級生を横目にさまざまな困難を経て、やはり三十七、八歳頃にようやく自身の文学の道を確立。中山にとって文学の道とは、時代や状況に流されることのない、独立自尊の気風であり、芭蕉を描いた筆致にも、自然と自身のたどってきた道への思いが重ねられていたように思います。あなたも、自己卑下するのでも過大評価に陥るのでもなく、ありのままに自分自身を捉え直していくことがテーマとなっていくことでしょう。
今週のおとめ座の運勢
無常に立ち返る
今週のおとめ座は、これまで当たり前にあったモノ/コトが急に覚束なくなるような星回り。
それはまるで、「夏はあるかつてあつたといふごとく」(小津夜景)という句のよう。近年こそ温暖化や異常気象などで季節感が狂いつつあるものの、考えてみれば、有史以来数千年にわたって地球上の各地で季節が毎年かならず同じ時期に巡ってきたということは、何もかもが不確かなこの世界にあってそれ自体が奇跡のようなことであるように思います。
ただし、いま生きているどんな人であれ、そうした季節の巡りを自分の感覚に基づいて100%の確信できている人はいないでしょう。誰しもが少なからず、「かつてあつた」という理由から今年も、今も、そしてこれからもあるのだろう信じて疑わない“ふり”をしたり、お互いにそれを強化しあって生きているのだと言えます。
掲句はある意味で、そうした“ふり”への無自覚的な没入から解かれて、真顔に戻った人間の何とも言えないまなざしと共にあるのではないでしょうか。そして、それは秋でも冬でも春でもなく、いつもどこか不思議な懐かしさと共に再生される夏という季節でなければならないのです。あなたもまた、また一つ古びた「共同主観」から脱け出していこうとしているのかも知れません。
今週のてんびん座の運勢
夢のあとさき
今週のてんびん座は、つれづれなるままに集めた「部分」へのこだわりを、強めていこうとするような星回り。
西洋では長いもの、大きなもの、派手なものが好まれ、日本では逆に短いもの、小さなもの、地味なものが好まれる。それが端的に現われたものが随筆でしょう。方丈記も徒然草も、そこにあるのはてんでばらばらな話題の寄せ集め。西洋のエッセイは形式こそ自由ですが、ゆるやかにせよ建築的なプラン(全体の構図)はしっかりとあり、これを読みなれた西洋人が日本の随筆を読んだら、そのずさんさと統一感のなさに唖然としてしまうかも知れません。
なぜこうした違いが出てきてしまうのか。それは日本人が「部分」あってこその「全体」という考えやこだわりが強く、ほとんど「全体」など眼中にないからでしょう。「全体」はあくまで後からついてくるものであり、偶然的なものの結果でしかないのです。
フランス文学者の野内良三はこうした日本特有の随筆や和歌、俳句などを「部分の芸術」と呼びましたが、「今ここ」が問題となる偶然性においては、自然と「在ることの可能性が小さいもの」に注目するスタンスが大事になってくるのです。あなたもまた、ミクロの視点をこそ改めて大切にしていきたいところです。
今週のさそり座の運勢
光と闇とその密度
今週のさそり座は、だんだん凄味が増していくような星回り。
「切れさうな月あらはれる草いきれ」(三城佳代子)は、モチーフや比喩にも特に奇をてらったところがないにも関わらず、不思議な迫力のある句。炎威なお衰えぬ夏の夕暮れの草原に、こつ然と白光をおびて切れそうなほど細い月が現われる。その明と暗、夜と昼とのさかいに身を置いて、思わず壊れそうなほど繊細な三日月にこころ奪われたのでしょう。
おそらく、自分でもとらえどころのない鬱屈した情念が、たまたま眼前の鮮烈な光景に触発されて一気にほとばしって出来上がった作品なのかもしれません。どこか理屈を拒むようなその迫力は、再読を重ねるにしたがって月が光を加え、大地が重く沈むように感じられるにつれ、増していくはず。
そして、そうした得体の知れない密度は、どこかさそり座の人たちの存在感にも通じるところがあるように思います。あなたもまた、平凡な説明や安易なストーリーに自身の身をあずけることなく、持ち前の得体の知れなさに踏みとどまっていきたいところ。
今週のいて座の運勢
偶然性の海でサーフィン
今週のいて座は、偶然性の波の上にのって、見知らぬ自分へと変容していこうとするような星回り。
高度に情報化された現代社会では、“賢く有能な”人ほど情報の取捨選択にコストをかけ、どこかの時点で意図的に情報収集をやめて行動に移ろうとしていくが、端的にいってそういう意味の過剰さや「意識の高さ」にくたびれてしまった人も多いのではないだろうか。
そうした主体の理知のもとでの行動の中絶を、哲学者の千葉雅也は『勉強の哲学―来るべきバカのために』の中で、「意味的切断」と呼んでいるが、他方で「非意味的切断」ということについて「すぐれて非意味的切断と呼ばれるべきは、「真に知と呼ぶに値する」訣別ではなく、むしろ中毒や愚かさ、失認や疲労、そして障害といった「有限性finitude」のために、あちこちに乱走している切断である。」と述べている。
そして興味深いことに、千葉やこのタイプの切断の重要性を指摘した上で、それを「そうでなかった自分に成る」ためのテクニックとして、肯定的に活用しようと畳みかける。あなたもまた、「自分が求めていたものを得る」のではなく、むしろ見知らぬ自分になっていくための行為として勉強に励んでいくべし。
今週のやぎ座の運勢
ろくでなしブルース
今週のやぎ座は、説明のつかない衝動や感情の顕在化を促していくような星回り。
「夏雲にいくたび翳るカトラリー」(藤井あかり)は、ナイフ、フォークなどではなく、あえてそうした食卓用の刃物の総称である「カトラリー」という言葉を選んだことで、何かが変わってしまったように感じられる一句。「夏雲」とあるにも関わらず、掲句には日本の夏特有の暑苦しさが微塵も感じられません。
むしろ、静謐な時間の流れのなかで時おり翳る「カテラリー」に、決して表には現われされることのない作者の不穏な衝動や奥底にある負の感情が連想されて、というより、自分の中の何かをそこへ投影して、背筋に冷たいものが走る人もいるのではないでしょうか。
その意味で、掲句はどこかでそうした押し込められた感情や言葉にできない神的不満のようなものの解放を淡々と促していく作品でもあるのかも知れません。あなたもまた、自分自身を深いところで縛っているしがらみと向き合っていくことになるでしょう。
今週のみずがめ座の運勢
半身の祈り
今週のみずがめ座は、「あたたかい血潮」に憧れる石像のごとく、祈りを刻んでいこうとするような星回り。
人は誰しも手土産ひとつなしに、ただ命だけを授かってこの世に登場し、しばらくの間その授かった命一つを息吹かせたら、また何も持たずこの世を去っていく。しかしそれだけでは心許なく感じるのも人間であり、自分の中や周囲に身分や資格や名誉、習得した技術や資産、家族や友人、パートナーなどをまといつかせ、それらをまるで目に見えない衣装のように着込んで初めて生きた実感を得ているようにも見えます。
古代ギリシャでは、前者のような「剝き出しの生」や「内在の身体性」をゾーエーと呼び、後者のような「社会的な生」をビオスと呼んで区別しましたが、今週のみずがめ座もまた、通常はすっかりごっちゃになってしまっているこの両者の区別を改めて迫られていくはず。
すなわち、安定的な生の拠り所であるかのようなビオスこそ、自分の溌溂とした魅力や創造性を奪う拘束服に他ならず、愛を受け取ったり与えたりするのはむしろゾーエーの次元で行われるのだということ。今週のみずがめ座は、それを誰かの声を契機に思い出していけるかどうかがテーマなのだとも言えます。
今週のうお座の運勢
不在のうた
今週のうお座は、虚無がそれ以外の何かへと昇華していくのを、じっと待っていくような星回り。
「河黒し暑き群集に友を見ず」(西東三鬼)は、昭和15年(1940)の句。この年は「京大俳句」が、厭戦や反戦の俳句を掲載したことから同人が次々と逮捕された年であり、ここで言う「友」というのもそのうちの誰かのことなのでしょう。作者もまた新興俳句運動の中心人物の一人であり、それは戦争と弾圧の焦土を経て、戦後の俳句表現の肥料となっていきましたが、その過程にはこうした救いようのない虚無があったのでしょう。
同じ作者によって戦後に詠まれた「暗く暑く大群衆と花火待つ」と比べると、より精神の暗黒の深さが際立ってくるように感じられます。掲句ではまだ、「河」はあくまで黒く淀んだ都市や国家の深い陰翳とともにあり、頼りになる「友」はひたすらに不在だったのです。
「暑き群集」にどこまでも取り残されているような孤独を噛みしめつつ、作者は5年間にわたり句作を中止しましたが、それでも俳句自体をやめることはなく、戦後になって再び八面六臂の活躍をしていきました。あなたもまた、そのままではとても耐えきれないような事実がおのずと物語化されていく過程のなかに身を潜ませていくべし。
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