おとめ座
覚悟と助け
背負うべき現実を定める
今週のおとめ座は、「蟻が蟻負いゆく大歓声の中」(辻本冷湖)という句のごとし。あるいは、これまで聞こえていなかった声援へと、耳が開いていくような星回り。
子どもの頃、確かにこんな光景をどこかで見かけた気がする。傷ついているのか、それとも息絶えているのか、仲間の蟻を懸命に引いていく姿に、見えない観衆から、聞こえないはずの歓声が送られているのが聞こえてくる。
その瞬間、ちっぽけな庭の片隅がオリンピックの競技場まで拡大されていく。しかし考えてみれば、見えない観衆は以前からそこにいたのかもしれない。気付かなかっただけで、いや気付きたくても気付けなかったということだろうか。
そう、決死の奮闘も、背中を押してくれる歓声も、やはり掲句の蟻のように負うべきものを背負ってこそ生じてくるのだ。
自分は何を背負っているのか。また、背負うべきはどれほどか。今週はそんなことを問う中で、生きる現実領域を拡張していくことになるはず。
腹が決まれば
何をもって覚悟と言うか。それは、結論を先に出してしまうことです。雲の中の飛行機乗りであれば、まず出口を決める。するとそれに応じて現実が動き出し、必要な支援もまた自分に届いてくるものです。
例えば、恋人とはまだ付き合いたてだけれど、自分はもう結婚したい、と思っている。そういう場合ならば、入籍日と結婚式の日取りを先に決めてしまえばいい。
結論ありき、答えありきでいると、現実の方も結論や答えの方に合わせて動いていくものですが、逆に結論を出すことを躊躇していると、どんなに望んでいても、次第に望みとは逆の方へと現実が流れていってしまう。
考えてみれば、蟻は最初から蟻を背負うことを本能で決めてしまっているわけで、逡巡したのちに覚悟を決めて結論を出すというのは、人間だけに可能なプロセスなのでしょうね。それを呪いと受け取るか、祝福と受け取るかはあなた次第でしょう。
今週のキーワード
現実はいつもあべこべ