おとめ座
ただの人として
一期の堺
今週のおとめ座は、声変わりしていく少年のよう。あるいは、何かが失われていくことを通して、別の何かを得ていくような星回り。
一般的には11歳から14歳にかけて迎える声変わりは、例えば洋の東西を問わず少年役者にとって第1の難関とされてきました。能の大成者である世阿弥などは、はっきりと、
「まず声変わりぬれば、第一の花失せたり」
と述べています。
声変わりは必ずやってくるものであり、当然ながら今までのような可愛らしさは消えて、人気も失せる。少年はそこで少なからず失望を味わうことでしょう。
どうしたらいいのか。それに対して、世阿弥はこういうのです。そんな時は人に何を言われようとも一喜一憂せず、無理のない範囲内で声を出す稽古をせよ、と。重ねてさらに、次のように続けます。
「心中には、願力を起こして、一期の堺ここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬより外は、啓子あるべからず。ここに捨つれば、そのまま能は止まるべし」
何かが失われ絶望した時ほど、人生の境い目である、と。
そういう自分の才能や人気が損なわれたように感じた時にこそ、これまで続けてきたことを捨てない覚悟を持つべし。そんな風に、今週は自分に言い聞かせておくといいでしょう。
シモーヌ・ヴェイユ
「神童も二十歳すぎればただの人」という言葉がありますが、これは実はある程度誰にでも当てはまる言葉なのだと言えます。
世阿弥とは異なりますが、そうした「ただの人」としての実践をし続けた例としては、シモーヌ・ヴェイユのことを思い出さずにはいられません。
「人間の偉大さとは、つねに、人間が自分の生を再創造することである。自分に与えられているものをつくり直すこと。自分が仕方なく受け取っているものをも、きたえ直すこと。労働を通じて人間は、自分の自然的な生をつくり出す。」(「労働の神秘」『重力と恩寵』)
今週のキーワード
自分の生の再創造