
おとめ座
誰かがやらねばならぬから

ぶつかり女
今週のおとめ座は、『全人類を罵倒し赤き毛皮行く』(柴田千晶)という句のごとし。あるいは、きちんと自身の十字架を通して戦っていこうとしていくような星回り。
いつの世からか、男性たちは土壇場になればなるほどグズグズするようになってしまいました。そうした事情自体は令和のいまも、終戦直後の頃も、あまり変わらないのではないでしょうか。そんな男性たちに喝を入れるべく闊歩していくのはいつだって女性であり、それはまさに掲句のような仕方だったのかも知れません。
言い訳がましい理屈をこね回している全男性たちを罵倒しては蹴散らしていく、赤い毛皮をまとったその女性は、年のころも少女でもなく老婆でもないような、妙齢の女性でなければならない。
というのも、出世競争であれセクハラであれ、生きづらい思いをこれでもかとさせられてきたのは男性よりも女性であり、少なくともそれ相応の経験をして女性の十字架を背負ってきた人間であればこそ、そうした逆境をものともせずに、女性上位に持ち直していくだけのある種の呪力を発揮することができるから。逆に、そうでもなければ「赤き毛皮」が浮いてしまうし、「全人類を罵倒する」というのも不自然になってしまうはず。
2月5日におとめ座から数えて「インスピレーション」を意味する9番目のおうし座で上弦の月(行動の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、男性上位な世の中をひっくり返していくようなつもりで過ごしていくべし。
地獄に堕ちる資質
歴史学者の加賀屋誠は、親鸞の『歎異抄』にある「悪人なおもて往生す、いわんや善人をや」という言葉を、「悪人なおもて地獄に堕つ、いわんや善人をや」と言い換えてみせました(『地獄めぐり』)。
これは自分の心の内に人には言えないような欲動が在ることを自覚し抜いている悪人であれば、迷うことなく地獄の門を開いてそこを旅して巡ることができる一方で、どこかで自分は善人だと思っている人は、心の内にある暴力やエロスの欲動を自身で強く抑圧していることに気が付いていないのだということ。
つまり加賀谷は、完全な善人ではないにせよ、それでももし善人という自己認識を崩したくない、善を為したいという気持ちがあるのなら、なおのこと地獄に目を向けるべきだと言っているわけです。その意味で、完全な善人ではあり得ない私たちは、すでにみな平等に地獄へのパスポートを与えられているはず。
それでも、抑圧が強すぎて自分たちが悪人であるという自覚さえ持っていないような輩には、閻魔や鬼のように地獄へと踏み入っていくのを手助けしてやる必要があるわけで、地獄がこの世の現実の実相を映し出す鏡のようなものであるならば、この世の誰かがその役割を果たしてやらねばならないのではないでしょうか。
今週のおとめ座もまた、地獄へ入りたくても入れない人のために、閻魔や鬼になり代わったり、誰かにその役割を担ってもらったりといったことがテーマとなっていきそうです。
おとめ座の今週のキーワード
内なる異国を覗きこむ





