おとめ座
靴を脱いで世界を広げる
鮮やかな対比
今週のおとめ座は、『はればれと佐渡の暮れゆく跣足(はだし)かな』(藤本美和子)という句のごとし。あるいは、行動範囲や世界像を狭小にしてしまうような「靴」は大胆に脱ぎ捨てていこうとするような星回り。
海のかなたには佐渡島が見えていて、その方向に日も落ちてゆく―。ふつう、日が暮れれば遊びは終わって少ししゅんとなって気分も落ち着いてくるところですが、珍しく靄っていない、すっきりと空気が澄んだ一日だったのでしょう。日が暮れてもなお「はればれ」としているという意外性が、はだしの体感と合わさって、風景の広がりが立体的に立ち上がってくるようです。
どこまでも遠くに広がる地平線とともに、空と海の大きさを思いきり感じた極大の世界から、結びの「跣足かな」で極小の世界へと一気に転換され、日常と地続きになっていく。
おそらく、作者は靴をぬぎ、砂浜を素足で歩いたりして、くつろいでいたはず。だからこそ、靴をはいているのと脱いでいるのとでは、見えてくる風景の解像度がぜんぜん違うことに作者は気付いたはず。
それはここで世界の見方をリセットするきっかけを得たということであり、「はればれ」というのも単に視界の開け度合の問題というだけでなく、それまでの見方を捨て去った解放感でもあるのではないでしょうか。
6月21日におとめ座から数えて「ビジョン」を意味する11番目のかに座に太陽が入っていく(夏至)今週のあなたもまた、思いきって「はればれ」していくなかで、どれだけ世界を広さを取り戻していけるかがテーマとなっていきそうです。
目に映る大体のことは妄想
「地球にやさしく」「環境を守らなければ」などと、どこかで聞きかじった正論を呪文のように繰り返す人に限って、身の周りの自然から受けとることが可能な恵みを最初から過小評価しているか、無視を決め込んで、みずから世界を小さく、貧しいものにしてしまっているのではないでしょうか。
要するに、彼らは都市というものを人間の手で作りあげられたつまらない人工物だという「靴」を履いたままで、地球に生かされて生きているということが見えていないし、何ら実感できていないのです。
例えば、大都市では大気中に塵や埃が充満していますが、2時間も雨がしっとり降れば、雨水はほぼ真水に近い状態で地上に到達し、不純物を含まない雨水であれば、2カ月間は保存がきくようです。
また、都市に降り注ぐきつい日差しは、ラジカセや小型テレビをしばらくの間使えるほどの電気量をもたらしてもくれ、秋葉原で1万もしない価格で買える小さなソーラーパネルで簡単に自家発電することできるはず。
その意味で今週のおとめ座もまた、自分のこころや暮らしを豊かにしてくれるものをきっちりと見定め、みずから手に入れていく気概を持つべし。
おとめ座の今週のキーワード
はればれする=風景の解像度をあげる