おとめ座
溢れんばかりの水に浸る
どこから水を汲んでくるのか問題
今週のおとめ座は、『古事記』の水源神話のごとし。あるいは、自分にも「宇宙水」から流れ来るものの一部が満ち満ちているのだと実感していこうとするような星回り。
なぜ川の水は絶えることなく流れているのでしょうか。そして、その源はどこにあるのか。ものごとの起源をめぐって、古代人はしばしば神さまの出生に仮託し、それを神話という形で紡いでいます。
文学研究者の中西進は『古事記』に記述された水戸(河と海の境)の神であるハヤアキツヒコとハヤアキツヒメを取り上げ、最初に泡の神が生まれ、次につら(水面)の神さまが生まれ、その次にみくまり(分水嶺)の神が生まれた点に着目し、この「みくまり(分水嶺)」、すなわち水配りが為される川の上流地点こそが水源と考えられていたのではないかと指摘しています(『ひらがなでよめばわかる日本語』)。
ただ、分水嶺を水源と考えたところで、なぜ川の水がとうとうと流れ続けることができるのかは説明できません。中西はそこに一歩踏み込んで、次のような自説を展開するのです。
古事記の神話では、みくまりの神さまの後に、クヒザモチが生まれています。このクヒザモチについて、本居宣長はこれは「汲みひさご持ちの神」のことだろうと指摘しています。「汲みひさご」とは、ひょうたんを縦半分に割って作った、水を汲む道具です。(…)クヒザモチは、どこから水を汲んでくるのでしょう。ふつう考えれば海なのですが、海水はあまりにしょっぱいから、古代人だって海水ではないと思ったはず。私は、これこそ宇宙水なのではないかと思います。この大地の周り、空も海も含めてこの世のすべてを満たしている宇宙水という概念を、日本の古代人ももっていたのではないでしょうか。
中西の説に従うならば、古代人の考えたクヒザモチはずいぶんな巨人ということになります。汲みひさごを持って、遠くまで手を伸ばして宇宙水を汲んできて、それを川に流す訳ですから、なんとも雄大な発想ですね。
5月15日におとめ座から数えて「大いなるもの」を意味する12番目のしし座で上弦の月を迎える今週のあなたもまた、自分なりの水配り(みくまり)、すなわち大いなる循環への参画を為してみるといいでしょう。
運気の管理
現代人の日常は、どこか長距離自由形の水泳競技の様子に似ています。ルール上は思い思いの泳ぎ方が許されているはずなのに、気付けば周囲はみんなスピードの出るクロールばかり。そんな中、少しでもラクな息継ぎを模索したり、体力を消耗させずに泳ぐコツを身につけようとしていると、白い目で見られてしまうことさえある。
しかし長い距離を泳いでいると、どうしても自分でも気付かないうちに次第にフォームは崩れ、無駄な動きが増えていき、やがて息継ぎのポイントもずれたり、足がつったり、溺れる寸前までいってしまうものです。
そういう意味で今週のおとめ座は、レースの途中にいったんコックピットに入っていつの間にか崩れてきたフォームを見直したり、乱れた息継ぎでは足りなくなっていた酸素を肺いっぱいに取り込んでみたりといった、いわば「運気の管理」期間と言えるかもしれません。
特に、最近なんとなくダルいなとか、パッとしない、ついてないと感じているならば、今週は、自身の不運体質をいったん水に流していくのに絶好のタイミングとなっていくはず。
おとめ座の今週のキーワード
宇宙水を汲んでくる