おとめ座
夜に潜む
明るさは感覚を鈍くする
今週のおとめ座は、『暗がりをともなひ上がる居待月』(後藤夜半)という句のごとし。あるいは、分かりやすく目に留まりやすい豊かさを追おうとする現代的文脈から外れていこうとするような星回り。
今年は9月29日に中秋の名月(陰暦8月15日)を迎えます。そして、十六夜、立待をへて、「居待月」(陰暦18日)ともなると、月はあきらかに欠け、出も遅れていきます。
まさに「暗がりをともなひ」の感じな訳ですが、そうした暗がりや闇の感覚というのは、煌々としたあかりに照らされた街の暮らしに慣れきってしまった現代人が、すっかり失ってしまったものの一つと言えるでしょう。
特に高度経済成長期以前の日本は、文字通り今よりずっと暗かったのであり、日本人は夜の暗さに親しみ、闇の不思議に遊んできました。江戸時代には夕方5時に夕飯を食べて、夜8時には寝るのがふつうだったそうですし、田舎では明治以降もそうでした。
暗がりの中では五感が鋭くなるだけでなく、昼の人間たちの活動に伴う騒音や生活臭などからも遠ざかるため、かすかな音やにおいを自分でもびっくりするほど感じ取ることができるはず。
例えば、暗がりの中に5~10分もいれば、最初は真っ暗闇に見えた目の前に、夜の風景や室内の配置がボーっとモノクロに見えてきますし、30分から1時間もいれば、目の感度はなんと10000倍も上がるのだとか。いわゆる、明所視から暗所視に切り替わるのです。
9月29日におとめ座から数えて「弱体化」を意味する8番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、暗がりの中に埋もれた豊かさを再発見していくべし。
夜の視力は全体視力
例えば、暗闇のなかを夜通し歩くナイトハイクなどをしていると、当然ながら手元の文字や遠くの標識なんて読めないし、そもそも山道に文字などほとんど存在しません。木々の葉の一枚一枚を見分ける必要もないし、いくら視力がよくても暗すぎて細かい部分はほとんど何も見分けがつかないのです。
それより、山道のだいたいの感じ、周囲の地形や、木々の密度、空の開け具合の全体をなんとなくでもつかみながら歩く必要の方が大きいですし、そこでは星や月や夜景の光をクリアに見るための凝視力より、いわゆる「夜目」と呼ばれる全体視力、周辺視こそが大切になってきます。
明所視の際に働く目の錐体(すいたい)細胞は、網膜の中心部分に集まっていますが、暗所視の際に働く桿体(かんたい)細胞は、網膜の周辺部分に広がっています。なので、暗所視に順応すればするほど、見たいものを凝視せずに、ふらふらと視線を動かして、真正面のものを目の中心から外してやるのがいい。
もし闇の山道でなにか見つけたとしても、なんだろうと立ち止まって凝視するのではなく、とっさに目を散らす方がいいのです。その意味で、今週のおとめ座もまた、できるだけ一点凝視になりがちな明所視から、全体を感じ取る暗所視へと切り替えていきたいところです。
おとめ座の今週のキーワード
闇遊びに興じる