おとめ座
どこへ逃げるか
決して権力的支配を受けない領域
今週のおとめ座は、箱の怪(あやかし)のごとし。あるいは、この世とあの世の境にあって技をふるっていこうとするような星回り。
日本全国の妖怪をほとんど網羅したかのような辞典を開いてめくっていると、身の周りのあらゆるモノが妖怪化されてきた中で、唯一といってもいいくらい「箱」ないし「つづら」の妖怪が見当たらないことに気付きます(沖縄のガンマジムンのみ)。
これはなぜか。例えば、評論家の倉本四郎は『鬼の宇宙誌』のなかで「箱は物怪をこの世に放つ装置、母胎」であって、鬼なるものが中国・朝鮮から渡来した金属民や工人などの技術者集団と深く関連していたのではないかと述べています。
すなわち、「箱の怪」というのは、浦島太郎の玉手箱のように、現世に生きる人間を煙に巻くような奇怪なものが出現するというだけでなく、そこに大判小判や金襴緞子など、平地では見たこともないようなお宝もまたそこに眠っているがゆえに、単に鬼=妖怪と同列の存在なのではなく、その内部に異界そのものをいだく鬼なるものの母であり、時の権力(父なるもの)が決して支配しきれないものの象徴なのだ、と。
その内部が空洞になっている「つづら」は、自然が細工した「箱」であり、宝(幸運)にもガラクタ(災厄)にもなりえる未知を抱いているという点で、鬼が残す「打ち出の小槌」にも似ています。
その意味で、24日におとめ座から数えて「逃げ込み寺」を意味する4番目のいて座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、できるだけ権力の力が及ばない領域(=異界)へと足を延ばしてみるといいでしょう。
古びたプラットフォーム
今では駅の佇まいもモダンに改築され、ホームもつるりとした無機質なそれに変わってしまいましたが、世田谷代田駅はかつて小田急線いち不遇な駅でした。
昭和の香り漂うと言えば聞こえはいいものの、吹きっさらしのホームと木のベンチでいつまでも来ない電車を待っていると、最果ての地の無人駅のように感じることさえあったものです。
新宿から見て下北沢の1つ先にも関わらず、急行にも準急にも素通りされ、各駅停車しか止まらない。さながらクラス一の人気者の横でいつも押し黙って下を向いている双子の兄弟姉妹の片割れのようでした。
しかしそれでも、猥雑でおしゃれで人の声が絶えない下北沢のそばにいるのがつらくなった人が、景色や建物の古いほう、古いほうを選んで歩いていった先で、ぽつりと時代に取り残されたかのような世田谷代田を見つけ、たどり着いたことで救われた、みたいなことは昔からちらほら存在していたのではないでしょうか。そう、かつて鬼と呼ばれ畏怖のまなざしを向けられた技術者集団が、山や隠れ里などの異界にたどり着いたように。
同様に、今週のおとめ座また、そうしてひたすら心が落ち着く先としてのプラットフォームを改めて発見していくことがテーマとなっていきそうです。
おとめ座の今週のキーワード
時代から逃れて