おとめ座
深みに手をのばす
梅雨の深み
今週のおとめ座は、『青梅雨の深みにはまる思ひかな』(石川桂郎)という句のごとし。あるいは、沈黙とともに沈んだ言葉へと手を伸ばしていこうとするような星回り。
梅雨の時期は草木の緑を、ますます深い色へと染め上げていくように雨が降る。「青梅雨」は、そうして草木の葉に降る雨のことでもありますが、何と言っても短編の名手であった永井龍男が60年代に発表した小説のタイトルとなって以来、広く一般に知れ渡った季語でもあります。以下は、そんな『青梅雨』の一節。
青葉若葉の茂みに、ところどころ外燈がともっている。そういう細い道を幾曲りかして、千三は一番奥の家に戻った。雨と雨気を存分に吸い込んだ植え込みの重さで、門の脇のくぐり戸まできしんでいるような住居だった。それに、もうずいぶん長く、植木屋も入っていない。くぐり戸のねじ鍵を締めながら、千三は外燈を見上げて、しばらくぬか雨に顔を濡らした。
男はこのあと、青梅雨のなかで一家心中を遂げるという、事の表面だけをなぞると悲劇的な展開を迎えるのですが、そこにはうまく言葉にできないような清々しさであったり、人としての品格のようなものが漂っている。掲句で詠まれた「深み」というのも、きっとそんな私たちがふだん、胸の奥底にそっとしまい込んでいる繊細な心情の豊かさに通じるものであったように思います。
6月11日におとめ座から数えて「エモさ」を意味する5番目のやぎ座へ「死と再生」を司る冥王星が戻っていく今週のあなたもまた、ふっと胸の奥にある思いの深みにはまり込んでいくことでしょう。
甘んずる事ができないがために
もちろん「深みにはまる」というのは、人生を踏み外すとか、台無しにするということと紙一重ですが、それで思い出されるのは、『底の抜けた柄杓で水を呑まうとした』という尾崎放哉の一句。
ここでは無粋な解釈などは省きますが、一般的にはエリート街道から恋に破れたことをきっかけにすべてを捨てて俳句三昧へと入ったとされる放哉について語った、俳人の荻原井泉水の言葉を引用しておきます(彼は俳人としての放哉の育ての親でもあった)。
失恋だけで放哉がああなったとは思えませんな。あとではちゃんと妻を迎えていたのだから――それよりも最大の動機はむしろ会社勤務に性格上堪えられなかったということが――ついに俳句一筋に縋って、あとの全部を放擲して無一物の生活に飛び込ませた――もし彼が会社員生活に抵抗を感せず甘んずる事が出来たらああいう最後は遂げずにすんだはずでしょう(吉屋信子『鬼火・底の抜けた柄杓』)
とはいえ、放哉は今では自由律俳句の代表者として知られています。今週のおとめ座もまた、大抵の人が普通にできるはずのことが普通にはできない、そうはあれなかった悲しみを、ただ放っておくかわりに、何らかの言葉にしてみるといいかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
人間としてのずるい部分をあえて呑みこむ