おとめ座
絶妙な酸味を目指して
静かなる不穏
今週のおとめ座は、アンリ・ルソーの不穏のごとし。あるいは、みずからをあえて時代の影響の外に置いていこうとするような星回り。
「眠るジプシー女」などで知られるアンリ・ルソーという特異な日曜画家がピカソによって奇跡的に見出され、発掘されたというのは有名な話です。ある日、古道具屋の店内で立てかけてあるたくさんの絵の中から一部はみ出している絵に視線を落とし、引き出して、全体を見るなりピカソはその絵を買ってしまったのだそう。
横尾忠則によれば、ルソーといえば夢と幻想を描く素朴絵画の代表画家のようなイメージがあるけれど、19世紀末から20世紀にかけて目まぐるしく変貌していった近代絵画の潮流のなかで、他のどの傾向にも似ていなかったために王道から除外され、素朴派の一員に組み込まれていたのだとか。
芸術というのは大なり小なりなんらかの形でその時代の様式を受け入れているものが認められ、影響の外にあるものはいつの間にか闇のなかに葬られてしまう運命にあるといってもいいだろう。だからアンリ・ルソーは本当に稀有な存在であるといえる。もし、あの時ピカソが古道具屋でルソーを発見していなかったら、ルソーの評価はどう変わったことだろうか。(中略)今の現代美術に最も欠けている要素というか、現代美術が捨ててきた要素のすべてがアンリ・ルソーの中にあるようにぼくは思えてならないのである。(『名画感応術』)
先の「眠るジプシー女」にしても、砂漠の月光を浴びて眠っているジプシー女と、女の首のあたりにライオンが頭を下げて鼻を近づけているという、状況としては緊迫しているはずなのに、どこまでも静寂な絵なのですが、横尾は「ライオンの尾の先がピンと上を向いて立っている」ことで、どこか不穏な絵にもなっているのだと書いています。
1月22日におとめ座から数えて「自分なりの流儀」を意味する6番目のみずがめ座で新月を迎えるべく月を細めていく今週のあなたもまた、あなたなりの不穏さをまぎれこませていきたいところです。
「酸い」な自己肯定
さまざまな経験を積んで成熟した人間のことを、「酸いも甘いも嚙み分けた」と表現することがありますが、実はこれは古い言い回しで、「酸い」というものを現代の基準でレモンのような酸味と考えてしまうと、途端に話がよく分からなくなってしまいます。
日本の伝統的な酸味というのは、そもそも甘味も含んでいるのであって、例えば醸造酢のような「まろみ」に近く、だからこそ「嚙み分ける」必要があるし、それには両者の微妙な違いを区別するための‟基準”を知っていなければなりません。
九鬼周造は『いきの構造』において、甘味に対して渋味を対置させた上で、その中間にあるものが、派手と地味の中間にあるものと対応しているのだと論じました。つまり、甘味というのは「俗」であり、人目を気にし過ぎており、その対極である渋味の「脱俗」すなわち一切の比較対象がそぎ落とされた隠遁者的な精神的円熟の境地を‟基準”とすることで、「いき」な甘さ=「酸い」を感じ取っていくことができるのだと考えた訳です。
それと同様、円熟味のある自己否定を基準にしつつ、ありのままの自分への甘い自己受容とは異なる、「いき」な自己肯定をいかに繰り出していけるかが、今週のおとめ座にとっても大事なトピックとなっていくでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
甘味と渋味の中間に立つ