おとめ座
暗闇に何かがある
視覚偏重社会への反動
今週のおとめ座は、目の見えない人の世界像のごとし。あるいは、知らず知らずのうちにできてしまっていた死角領域を改めて発掘しようとしていくような星回り。
美学と現代アートを専門とする研究者の伊藤亜紗は、視覚障害者の空間認識についてとりあげた『目の見えない人は世界をどう見ているか』の中で、「見えない人が見える人よりも空間を大きく俯瞰的にとらえている場合がある」という一般的なイメージとは裏腹な現実に触れています。
いわく、見える人は遠くまで“見通す”ことができるために、まわりの風景、空が青いとか、遠くにスカイツリーが見えるとか、そういうことにどうしても気を取られしまう。だから、「かえって見えない人の方が、目が見通すことのできる範囲を越えて、大きく空間をとらえることができる。視野を持たないゆえに視野が狭くならない」のだと言います。
さらに富士山や月のようなあまりに遠くの、あまりに大きなものを見るとどうしても立体感が欠けてしまうという事例から、視覚の本質として「三次元を二次元化すること」を挙げ、「そもそも空間を空間として理解しているのは、見えない人だけなのではないか」と提起する。つまり、私たちが身体をもっているがゆえに一度に複数の視点を持つことはできない以上、あくまで限界のある視覚を通してしか空間は捉えられず、空間をそれが実際にそうである通りに三次元的には捉え得ない、というわけ。
そうして著者は「見えないこと=視覚の欠落」という一般的な図式をくつがえし、むしろ欠落していた広い視野を取り戻していくためのチャンスとして捉え直していくのです。
1月7日におとめ座から数えて「中長期的なビジョン」を意味する11番目のかに座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、まずは視覚に頼りきって世界を歪めてしまっている現状を見直すところから始めてみてはいかがでしょうか。
サミュエル・ベケットの<部屋ごもり期>
アイルランド人のノーベル賞作家ベケットは、40歳になろうかという1946年頃、本人が後に<部屋ごもり期>と呼んだ集中的な創作活動期に入り、それから数年のあいだに代表作『ゴドーを待ちながら』を含めた彼の業績の中でも最も優れた作品群を書き上げました。
彼はその時期の大半を、世間から離れて自室で過ごし、ひたすらおのれの内なる悪魔と向きあい、みずからの心の動きを探ろうとしたのだそうです。どうして彼はそうした特殊な生活を始めたのか。彼の評伝によれば、それはある時ふと閃いて始まったのだと言います。
深夜にダブリンの港近くを散歩していた時、自分が冬の嵐のさなかに、ふ頭の端に立っていることに彼は気付いた。そして、吹きすさぶ風と荒れ狂う水にはさまれて、とつぜん次の事実を悟った。自分がそれまでの人生で、あるいは創作で必死に抑え込もうとしていた暗闇は、自分の目標とも一致せず、実際まるで注目されることもなかったけれど、じつはそれこそが創造的インスピレーションの源なのだ、と。
今週のおとめ座もまた、ベケットのように、これまで抑え込んできた魂の暗い側面こそが自分の最も優れた側面なのだということを受け入れていくことができるかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
暗闇では視野を持たないゆえに視野が狭くならない