おとめ座
あるべき自家発電のために
川は冷たいが懐は温かい
今週のおとめ座は、『巨燵(こたつ)出てはや足もとの野河哉』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、まず自分から何かを与えていこうとするような星回り。
画家としてスランプに陥っていた作者が、妻子を京都に残して讃岐に赴き、多くの作品を手がけた後、再び京都に戻ることになった際に詠まれた一句。
とはいえ、都でうだつのあがらなかった絵師が、ぽっと出て行ったからといってすぐに芽が出て、開花するはずもなし。すでに冬が近づき、乞食同然の身なりでさすらっていた作者は高松の豪商・富山家に拾われ、なんとか命運をつなぐことができたのだとか。
掲句の「巨燵」とは、そうした自身にかけてもらった「厚情」の比喩であり、去りがたく感じていた場所からいよいよそこから出ていくことを愁いているのでしょう。そして、一歩外に出れば、たちまちそこには冷たい川が横たわっており、それを自分はこれから渡っていかねばならない。
ここで言われている「足もとの野河」とはやはり「世間」の比喩に他なりませんが、それがまた富山家で気ままに絵を描かせてもらった日々への感謝や温もりをさらに際立たせている訳です。苦しいときに受けた恩というのは、それだけ時を経るごとにありがたみを増していくものであり、何よりそうなるように生きていくことで人は幸せになっていけるものなのかも知れません。
その意味で、11月1日におとめ座から数えて「自分なりの美学」を意味する6番目のみずがめ座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分がすでに返しきれないほどの厚情を受けとっているという前提に立って動いてみるべし。
魂の片割れを見つけ出す
存在してくれているだけで、なぜだかありがたい。そう思わせるものには、あなたの魂の片割れが潜んでいます。
例えば、そういうものにお金を払うという行為は、単に消費や浪費や経済的合理性ということを超えて、もっと「自分自身」を感じたいという衝動が潜んでいますし、そうした感覚はあなたが「自分は誰と付き合っていくべきか?」という問題を考える際にも、大変重要なヒントを提供してくれます。
自分を知らず、自分に鈍感な人というのは、他人と付き合うということの根幹を見誤るのです。芸術が必ずしも何かを創るばかりでなく「発見していく営み」だとすれば、その目的語に当たるのは常に自分自身ですし、自分を発見するのが上手な人で、付き合うべき相手を間違えている人というのはまず見たことがありません。
今週のおとめ座もまた、先達であれ、師であれ、友人であれ、パートナーであれ、芸術であれ、そういう相手やモノを有象無象の中から見つけて、そこから自分自身というものをひとつ感じてみるといいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
「発見していく営み」としての芸術