おとめ座
もっと悲しくなろうよ
あーっ!!
今週のおとめ座は、「さて、久しぶりにとりかえしのつかないことでもするかな」というセリフのごとし。あるいは、「日常のごくささいな死の欲動」という言葉を地で行くような星回り。
吉田戦車の『伝染るんです』の中に、和服を着たご隠居風の老紳士が冒頭のセリフをつぶやいてから、何食わぬ顔のまま上ブタを外したビデオデッキの前で納豆をかき混ぜ、そこに納豆を落とし、最後のコマで「あーっ!!と、とりかえしのつかないことを!」と驚くという作品があります。
確かに、これをやったらまずいんじゃないかなと思いつつ、ついやりたくなってしまうようなところが人にはあるもの。劇作家の宮沢章夫はこれを「日常のごくささいな死の欲動」と呼んでいましたが、宮沢はさらに、なぜか「回転するもの」は、特にこうした欲動を刺激しやすいのだとも言及しています。
この「回転するもの」というのは、例えば扇風機のような物理的な周期性もあれば、毎年決まって巡ってくる誕生日や記念日、はては月の満ち欠けなどの時間的な周期性も含まれてくるのではないでしょうか。
その意味で、10日におとめ座から数えて「小さな死」を意味する8番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな欲動をそっとほとばしらせていくはず。
挽歌と相聞の重なり
『万葉集』を眺めていても異常死者に対する哀悼を歌った「挽歌(ばんか)」が非常に多いことに気が付くと同時に、恋人やつれあい同士で詠まれた「相聞歌(そうもんか)」がしばしば挽歌において極まるというケースもしばしばあり、ひとり悲しむ追悼の場面において、胸乳(むなぢ)を突き破るような抒情が悲傷へと収斂していく精神の在り様を紡いでいくことこそが、彼らにとって最大の慰霊だったことが分かります。
挽歌が相聞であり、相聞が挽歌であった万葉人の感覚には、もしかしたら物に憑かれたように「死の欲動」に誘われ、どうにかなってしまいそうな自分自身に対する困惑や不安が前提にあったのかも知れません。詩人の萩原朔太郎は、こうした深い喪失感と地続きとなっている詩や歌における抒情について次のように述べています。
真の純真の芸術は、自己の魂の慰安のために、ひとり孤独の部屋に閉ぢこもって、静かに己が心の影を凝視しつつ、ひとり涙を流して低く歌ふべきものである。
他ならぬ自分自身の魂を、透明感のある哀感、それでいて激しい情熱に染め上げるために。今週のおとめ座もまた、まずは自分の抱えている不安や困惑を認め、それらを自身のすみずみにまで浸透させていくところから始めていきましょう。
おとめ座の今週のキーワード
「恋」と「孤悲(こひ)」