おとめ座
よりよき幻影を求めて
素晴らしき騙しあい
今週のおとめ座は、大魚の胃袋の中に入っていくよう。あるいは、「2匹の魚」という舞台劇をみずから上演していくような星回り。
西洋では古くから魚はキリスト教のシンボルであり、「大魚に呑み込まれる」というアレゴリーもまた、エデンの湿った幸福を象徴するものの1つなのですが、実際の現実では、それはしばしばクリエイティブではあるものの人生に傷を負った恋人として現れ、彼らはあなたに現実的な助けを必要としながらも、同時に霊的な救済を申し出てくるのです。
そうした申し出は大変魅力的に映りますから、たいていの場合は喜んで相手に呑み込まれ、相手とあなたは、さながら互いにみずからの幻影を投影しあう2匹の魚のような関係に陥っていくことでしょう。
これは、4月13日におとめ座から「パートナーシップ」を意味する7番目のうお座で木星と海王星が重なっていく今週のあなたがハマり込みやすい、元型的なパターンに対する言及であり、そこであなたは「聖なる救い主」か「受難の犠牲者」のいずれかの役割、ないし両方の役割を交代がてら演じていくことになるはずです。
その際、ひとつ注意しておかなければならないのは、こうした関係性はまぶしすぎる光には耐えられないということ。つまり、どこかで自分たちはしょせん騙しあいに興じているに過ぎないという自覚が求められていくということを忘れないようにしましょう。
<スケッチ>という文章群
1985年に刊行された村上春樹の短編集『回転木馬のデッド・ヒート』のまえがきには、「本当の小説を書くべきじゃなかったのか」という葛藤を抱えつつも、小説でもノン・フィクションでもない、村上本人が実際に見聞きした数々の話を登場人物が特定されないよう細部を改変していった断片的文章=スケッチをまとめるしか、この頃は手がなかったのだという本人の弁が記載されています。
村上はそうしたスケッチ群を「身よりのない孤児たち」に喩えるのですが、もし人がそこに何か奇妙な点や不自然な点を感じるのだとしたら、それは自分たちが作り出した影のようなものだからではないでしょうか。つまり、事実や人生というのは、私たちが能動的に創り出しているものなのではなくて、あくまでそう見えるだけなのだ、と。
我々が意志と称するある種の内在的な力の圧倒的に多くの部分は、その発生と同時に失われてしまっているのに、我々はそれを認めることができず、その空白が我々の人生の様々な位相に奇妙で不自然な歪みをもたらすのだ。少なくとも僕はそう考えている。
今週のおとめ座もまた、<スケッチ>という文章群を机の引き出しに溜め込んでいたかつての村上のように、そんな「意志の空白」を認めつつ、それを埋めてくれるものを探し求めてみるといいでしょう。
おとめ座の今週のキーワード
意志の空白というスクリーン