おとめ座
もつれつつも、ほどけゆく
「これしかない」の追求
今週のおとめ座は、「大利根にほどけそめたる春の雲」(安東次男)という句のごとし。あるいは、この組み合わせしかありえないという揺るがなさを追求していくような星回り。
「大利根」とは坂東太郎という別名をもつ利根川のこと。日本三大暴れ川の1つとされているこの河の上空にたなびく雲が、ほどけるように形を変えてゆくさまを詠んだ一句。「ほどけそめたる」の繊細さが、坂東太郎のイメージとの対比によって際立っていますが、これは夏のもくもくとした積乱雲とも秋の累々と横たわる鰯雲とも似つかわない表現ですから、やはり「春の雲」でなければ出せない取り合わせの妙だった訳です。
やさしく穏やかな春の空は、どんなフレーズにも嫌味なく付けられる代わりに、注意しないとどこにでもある印象の薄い句になってしまいますが、だからこそ作者のようにこれしかないという言葉の組み合わせをきちんと選択し、安易さを避けられるだけの確かな手腕が問われていくのだとも言えるでしょう。
そして同じことは、人間同士の関係にも言えるように思います。社会で経験を積むと、誰でもある程度その場の上っ面の関わりではうまくやれるようになりますが、だからこそ、自分のなかで「これしかない」と感じられるような関わりや瞬間を追求する心構えをどこかに持っておかねばならない。
その意味で、3月21日におとめ座から数えて「決定的な繋がり」を意味する8番目の星座で春分(太陽のおひつじ座入り)を迎えていくあなたもまた、2つの異なるモチーフを見事につないだ「ほどけそめたる」のような絶妙な働きを心がけてみるべし。
どうしたって言葉はもつれる
日本を代表する精神科医であった中井久夫は、本業の臨床のかたわら、その語学力をいかした詩の翻訳で有名な文学賞をとるほどの人物でしたが、そのいずれの営みにおいても、漠然とした疑問や仮説によって発生してくるらしい「曖昧な雲」のようなものがあることが大切なのだという旨について、次のように書いていました。
カルテを見て顔が浮かばないのは、この雲ができていない証拠である。(中略)この辺は、私の経験では詩の翻訳と似ている。今手がけている詩には「こう訳したらどうだろう」「これはどういう意味だろう」「こういうイメージでいいのだろうか」などという雲がまとわりついている。出版されてしばらくたつと、雲が消えてしまう。そして、雲があるうちよりもずっと平凡な出来に見えてくる。これが実際の平均的読者に与える読みなのであろう。
どうもあまりにすっきりと見通しが立って、すべてが割り切れてしまうような状態は創造的な仕事にはあまり向いておらず、むしろ中井が言うような「雲」が視界のうちに広がっていることが必要なのかも知れません。今週のおとめ座もまた、どうにも割り切れない相手や対象をこそ、改めて大切にしていきたいところです。
おとめ座の今週のキーワード
新たな問いを誘発するような選択を