おとめ座
醜さを含めた美を
自分の道をふさいでいるもの
今週のおとめ座は、「冬の日や前にふさがる己が影」(村上鬼城)という句のごとし。あるいは、虚飾を捨てて自己に忠実に向かい合っていくような星回り。
自分の影が自分の前に立ちはだかってまるで行く先が塞がっているかのようだ、というふとした思いから発された句。
それも春とか秋といった快適な時候でなく、年の暮れも近づいてきて冬の寒さがより一層身に沁みる時分ですから、貧乏に苦しんでいた作者は温かいものも十分に食えずにいたのかも知れません。
まさに自分の影法師が自分の前に立ち塞がっているかのような、貧者の行き詰まった心持ちを率直にうたっており、月の清らかな光を誇りとするなどと言った綺麗事や負け惜しみを言わないゆえの“自己への忠実さ”が際立っているように感じます。
その意味で、貧しさや厳しさの象徴でもある「影法師」は、他の何よりも自己へのごまかしを削ぎ落してくれる存在なのだとも言えるかもしれません。同様に、12月29日に拡大と発展の星である木星が、おとめ座から数えて「立ちはだかるもの」を意味する7番目のうお座へと移っていく今週のあなたもまた、自分の道をふさいでいるものがあるとしたらそれは何なのか、いったん立ち止まって考えてみるといいでしょう。
進化の袋小路にて
人間であれ、他のどんな種であれ、ときに進化の袋小路に入り込んでしまうことはありますが、ただそこからさらに自分で自分の首をしめていくようなケースは(大抵はそうと知らずに)、進化の歴史をふりかえっても枚挙にいとまがないほどに頻発してきましたし、やはり間違いに他なりません。
例えば、文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンはそうした間違いの元は「奇跡の希求」なのだと言います。救世主であれ、降霊術であれ、「奇跡とは物質主義者の考える物質主義的脱出法に他ならない」のであり、そうした安易な誘惑にのることは誤った試みなのだ、と。
野卑な物質主義を逃れる道は奇跡ではなく美である―もちろん醜を含めた上での美だけれどね(『精神と自然』)
興味深いのは、彼がそんな美の実例として、ウミヘビや、サボテンや、ネコなどの生き物を取り上げてみせた点です。ベートーヴェンの交響曲やフェルメールの絵画ではなく、そうしたシンプルな形態を美の事例に選んだのは、どこか掲句で作者が自身の分身としての影法師を詠んでみせたことと相通じているのではないでしょうか。
奇蹟ではなく、醜を含んだ美をこそ求め、自分を変化させていくこと。年末年始のおとめ座は、そんなことを頭の隅において過ごしてみるといいかも知れません。
おとめ座の今週のキーワード
奇跡なんていらない