おとめ座
間を埋めるのではなく
雲が「間」を流れゆく
今週のおとめ座は、「洛中洛外図」という絵画のごとし。あるいは、見通すべき物事を描き出していくための自分なりのやり方を模索していくような星回り。
戦国時代にあたる16世紀初頭から江戸時代にかけて、京都の市街(洛中)と郊外(洛外)の景観や風俗を描いたこの屏風絵は、橋や衣服、履き物といったディテールは非常に細かく描かれている一方で、絵画全体を見ると大部分が雲で覆われています。
この不思議な構図の裏にあるのは、ある種の意図的な「ごまかし」です。つまり、これを描いた画家は、京都の何たるかを要素ごとに分解してそれを一つのまとまりとして再構築するのは不可能だと判断し、ビッグピクチャーとしての京都と、いくつかのディテールを描いて、その繋ぎを「間(ま)」としてごまかしたのでしょう。
しかし、これは複雑な相互関係のもとで成り立っている物事をどうやって描き出すかという難題において、「いちいち理屈や根拠がなければ描いてはいけない」というロジックの呪縛から私たちを解放するための知恵でもあって、ビックピクチャーとディティールの往復によって物事を描くとき、そこに必然的に「大局観」と呼ばれるものが浮き上がってくるのです。
22日夜におとめ座から数えて「ちょうどいい塩梅」を意味する6番目のみずがめ座で迎える満月から始まっていく今週のあなたもまた、そもそも物事を「理解する」とはどういうことか、自分はどう理解しているのか、改めて考えてみるといいでしょう。
二つのレベルの間を流れゆく
たとえば、人生とはつねにうつろいゆく風景のようなものとも言えます。
嵐の日の海を猛烈な風が吹きつけていたとしても、波立ち、ざわめくのはあくまで海の表面のみ。その下には深海の静けさがどこまでも広がっている。逆に、どんなに重苦しく不透明な海であったとしても、海面に出てしまえば、そこには日の光を浴びてきらきらと輝く穏やかな光景が広がっているものです。
表層と深層、人生にはつねに二つの異なる顔がその時々の表情を浮かべており、健全さとは、そうした二つの風景を行き来する、潮の流れのようなしなやかなアイデンティティーが保たれている状態にこそあるのではないでしょうか。
もし今あなたが青白い顔をした金太郎飴のように、特定の顔だけにはまり込んでいるのなら、視線を置いているレイヤーを切り替えること。
大きなサイクルを移り変わるときというのは、そういう切り替えに対する習熟ということもテーマになってくるものです。
おとめ座の今週のキーワード
太陽(未来)と月(過去)のはざまで