おとめ座
共鳴から始まる
どこでもない場所のまん中から
今週のおとめ座は、つかまり立ちする幼児のごとし。あるいは、他の座標系と共鳴していこうとするような星回り。
僕は今どこにいるのだ?
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見回してみた。僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人びとの姿だけだった。僕はどこでもない場所のまん中から緑を呼びつづけていた。(村上春樹『ノルウェイの森』)
例えば、この「僕」はさながら生まれたばかりの人間の幼児のように、十分なリアリティを得ることができるほどの安定性がなく、エネルギーが収束されずただ光のカオスとして周囲を流れ続けていますが、これはどこか今のおとめ座の人たちに近いのではないでしょうか。
何かを創り出していくのが人間の資質だとするなら、それは特定の他者であれ土地であれ占星術のようなシステムであれ、他の座標系に共鳴し、浸透され、時にぶつかり合いながら適切な間合いを探ることによって、新たなシステムを立ち上がらせていく他ありません。
5月4日におとめ座から数えて「適応」を意味する6番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、孤立純化したシステムとして硬直してしまうのではなく、そうした共鳴を改めて心がけていきたいところです。
ダンテとウェルギリウス
例えば、13、4世紀の大詩人ダンテはその代表作『神曲』で知られていますが、この作品は人生の半ばを迎えた彼自身が、ある日暗い森の中に迷い込み、そこで地獄に入ってから抜けていくまでの壮大な遍歴譚の体裁をとっています。
そしてダンテがひとり暗い森で絶望していた際に出会い、自身の導き手となってもらったのが古代ローマ最大の詩人ウェルギリウスの魂(影)でした。この先輩詩人は、地獄や煉獄において、ダンテが怪物や亡霊や難所にぶつかって心が挫けそうになるたびに叱咤激励し、背中を押してくれ、そのおかげでダンテはなんとか自分を見失わずに済んだのでした。
ただしそれは、単に幸運に恵まれたということではなく、ダンテが初めて会ったにも関わらず、自分の背中をあずけられるほど、ウェルギリウスのことを敬愛し、みずからの魂をその交流に開いていけたということでもあります。
今週のおとめ座も、共鳴の対象がどのようなものであれ、関わるならダンテとウェルギリウスくらい深く交わる気があるのかどうか、今一度自問してみるといいでしょう。
今週のキーワード
ちょうどいい間合いの発見