おとめ座
童心にかえる
老骨の花
今週のおとめ座は、「幹にちよと花簪のやうな花」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、自分のなかに眠っていた皮膚感覚を呼び覚ましていくような星回り。
作者が亡くなる前の最晩年、85歳の春の作。花は桜。桜の樹の枝先の高いところではなく、もっと低い胴の部分から直接、小さな花柄がでて、一、二輪の花が咲いていたのでしょう。
それはまさに小さなピンで留めるくらいの花簪(はなかんざし)のよう。
歌うように滑らかな調子で、描写に一切の無駄がないことにも驚くのですが、何より注目すべきは桜と作者とのあいだの距離の近さでしょう。
掲句の「花かんざし」は七五三など小さな女の子が身につけるそれを思わせますが、花を見て人間の身体に直接身に着けるものを連想するというこの何気ないプロセスは、自然を対象化してあくまで“景色”として遠くに眺めているような意識からは決して出てきません。
その意味で、掲句は木肌を人間の肌と地続きに感じ取るような、ある種の皮膚感覚が意識の深いところから露出してきた句なのだとも言えるかもしれません。
29日におとめ座から数えて「実感」を意味する2番目のてんびん座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、対象を遠くにやってそれを他人事のように眺めるのではなく、ごく身近な自分事のように感じていくことがテーマとなっていきそうです。
行き交いゆくもの
もし「子どもと老人との違いは何か?」と問われたら、今のあなたなら何と答えますか。
思うに、それは「欲望の限りなさ」にあるのではないでしょうか。肉体の若さというのはその端的な表れに過ぎず、老いた人の欲望はたとえどんなに執念深かろうとどこか手近で、子どもや青年のそれのように決して果てしなく無謀なものではなくなっていきます。
子どもや青年には夢があり、暴力があり、不安があり、恋人があり、敵があり、からっぽのさいふと、限りない青空がある。
一方で、老いてしまった人間には、友達やパートナーはいても、「恋をしています」とふるえる舌で言える相手はまずいないでしょうし、もし万が一そういう相手ができたとしたら、その人は童心を取り戻したということでしょう。
今週のおとめ座は、どこかでそうした童心がふたたび自分の中を通り抜けていくのを感じることができるかも知れません。ただいずれにせよ、「老い」とは絶対的なものではなく、あくまで相対的なものなのだということを弁えていきたいところです。
今週のキーワード
欲望の限りなさ、そのほとばしり