おとめ座
花とともに
捨てきれずにそこにあるもの
今週のおとめ座は、「雛しまふ跡に掃(はか)るゝ花色々」(炭太祇)という句のごとし。あるいは、誰か何かの思い出を美しいものにしていく工夫を施していくような星回り。
作者は江戸時代中期の俳人。雛壇の飾りを片付けたあと、座敷を掃いているのでしょう。ただし、いろいろの花がある訳ではない。
実際には、ほこりや紐のきれはしや紙屑や雛あられなどが散らばっているだけのはず。それでも、お雛様の形見だと思えば、ちりひとつとっても花びらのように思えるのです。
時間が流れれば、どんなに愛らしいお雛様もやがて消えゆくさだめにあるものですが、それが後に残していったものをあえて「色々の花」に見立てることで、こころの大事な部分にそっとその思い出を刻み込もうとしているのかも知れません。
ちょっとしたことではありますが、これは誰にでもできることではありません。考えてみれば、誰か何かとの結びつきへの本音や向きあい方の本質が現れるのは、その結びつきがほどかれ別れを迎える時に他ならないように思います。
3月6日におとめ座から数えて「ひとつの終わり」を意味する4番目のいて座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、思い出に残すのにふさわしい結びつきを見定めてみるといいでしょう。
捨聖(すてひじり)の極意
ここで思い出されてくるのは、鎌倉時代のお坊さんである一遍上人のこと。
一遍は、この世の人情を捨て、縁を捨て、家を捨て、郷里を捨て、名誉財産を捨て、己を捨てという具合に、一切の執着を捨てて、全国を乞食同然の格好で行脚していきました。その心の内にあったのは、彼が「わが先達」として敬愛した空也上人の教えであり、それは次のように語られています。
念仏の行者は智恵をも愚痴をもすて、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願にもっともかなひ候へ。(『一遍上人語録』)
こうして捨てることのレベルを上げて畳みかけていった先で、一遍は「捨ててこそ見るべかりけれ世の中をすつるも捨てぬならひありとは」という歌を詠みました。いわく、捨てきれるだろうかというためらいさえも捨ててしまえばいい。あらゆるものを捨てた気になって初めて、捨てきれないものがあることに気付くのである、と。
今週のおとめ座は、そんな一遍の歌を折に触れて読んでいくといいでしょう。
今週のキーワード
あらゆるものを捨てた気になって初めて