おとめ座
子ども返り
透明なエクスタシー
今週のおとめ座は、「流れゆく大根の葉の早さかな」(高浜虚子)という句のごとし。あるいは、幼い子供のような真っ白な頭で他ならぬ「自分」を見つけていくような星回り。
作者は、自句自解で次のように述べています。
「フトある小川に出で、橋上に佇むでその水を見ると、大根の葉が非常な早さで流れてゐる。之これを見た瞬間に今までたまりにたまつて来た感興がはじめて焦点を得て句になつたのである。その瞬間の心の状態を云へば、他に何物もなく、ただ水に流れて行く大根の葉の非常な早さといふことのみがあつたのである。」
一見、とても素朴な句のように見えますが、この自解を読むとその背景となる空間は果てしなく広がっており、その無限の広がりの上に点描のように「大根の葉」がポツンと取り出されていることが、なんとなくよく分かるのではないかと思います。
作者は「写生」ということを追求した俳壇の第一人者ですが、一口に写生といっても初期のデッサンのような写生から、主観の写生、そして「非情非々情」つまりできるだけ主観を表さずに客観の写生に徹した客観写生と、時期によって変遷を経ていきました。
掲句はどちらかというと主観の写生にあたる代表句であり、「流れ」「行く」「大根の葉」「早さ」と、田園の人里の自然に対する感慨を極限まで単純な言葉で描いていますが、それは無我の境地における子ども返りだったのかも知れません。
27日(水)におとめ座から数えて「心の深層、根源」を意味する4番目のいて座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、「子ども返り」を経験していきやすいでしょう。
そしてそれは、すっかり大人の頭を持った自分からの大なる解放となっていくはずです。
隙を見つける
武道の世界などでよく「隙をつく」と言いますが、これは吐く息と吸う息のあいだは、意識のコントロールがきかず、その一瞬だけまったくの無防備となるため、できるだけこの呼吸の隙を小さくしていかねばならないということが背景にあります。
ただ、そうして隙をつかれまいとして息を殺していると、常に身構えっぱなしの状態となっていく訳ですが、現代人は真剣勝負をする相手や対象を持たないままに、とにかく隙をなくそうとして生きている人が非常に多いように感じます。
そうした身構えっぱなしの状態にだんだん疲れてくると、呼吸から弾力が失われ、いざという時の集中力が落ちたり、あるいは力の抜き方も下手っぴになってしまいます。
そんなふうに人は大人になると、どうしても子どもの頃のように無防備ではいられなくなってしまう訳ですが、今週のあなたは、心に隙が開けていく瞬間や、そこで自由で伸びやかな呼吸が戻ってくる様を求めていくのだとも言えるでしょう。
今週のキーワード
呼吸が確かに深ければ語彙は貧困でもいい