おとめ座
危機と母性
老子の説く強靭な生き方の極意
今週のおとめ座に贈る言葉は、老子の第十章。あるいは、生活の中で赤子のようにありつつも、時に母親にように自分のことを抱きしめられますか?
この第十章は、珍しく老子が自身が日々の生活の中で心がけていることを説明している箇所で、今日のビジネスの常識からすれば一見すると消極的すぎるように見えつつも、それでいて強靭な生き方の極意のようなものが示されています。その冒頭は次の通り。
「日々の生活の中で汚れる自分を見つめながら、自分の良心を守って、そこから離れないようにできるか。息をこらし、心を開いて嬰児のようにできるか。幻想をぬぐい去って、良心の鏡(「玄覧」)に一点の曇りもキズもないようにできるか。(中略)万物の生死に面しても女性の母性のように、これを受け入れることができるか。」
この最後の一文にこそ、老子という人が「道徳経」という名称から連想されるただの堅物ではないことがよく表れているように思います。
最初の3つの文では、普段から不満や心配に振り回されず、目の前のするべきことへ集中しつつ、心身を赤子のように柔軟でいるよう呼びかけ、最後の一文で、それでも自分の手ではどうしようもできない事(生死)に直面したら、母性の心をもって向きあおうと言っています。
つまり、生きるか死ぬかのギリギリのところまできたら、もう善悪や良し悪しで物事を裁くような男性的なサガや原理では駄目だと言っているのです。老子は紀元前5~4世紀の人ですが、これは最近の世情と照らしても、非情に納得がいくのではないでしょうか。
11月4日(月)におとめ座から数えて「心のざわめきを鎮める場所」を意味する6番目のみずがめ座で上弦の月(根張りの時)を迎えていく今週のあなたは、日頃から自分の心が払っている犠牲やそれによる疲弊に対して、できる限り真摯に向き合っていくことが求められていくでしょう。
腹を割ることの意義
赤子のように心身が「柔軟」であるとは、例えば、相手や周囲を圧倒して優位に立とうとするのではなく、マトリョーシカのようにどんどん自分の腹を割って、本音に気付いて、自分でも相手にもその本音を受け入れもらう、ということが自然にできている状態とも言えます。
ちなみに、マトリョーシカの作りはだいたい入れ子が5個のものが一番多いのですが、これが10個くらいになると値段が格段に上がり、中には20個のものもあるそうです。
逆に言えば、一度や二度、腹を割って終わるくらいなら、それはまだまだ強がっているだけの男性性が強く、母性に欠けた人間なのだということ。
腹を割って割って割りまっくてもなお、人というのは他の人とは共有しえない何かを残してしまうもの。しかし一方で、その難しさに触れたとき、人は初めて自分を抱きしめるだけの柔軟さを得ていけるのだと思います。
今週のキーワード
我慢は毒