おとめ座
こころが動き出す
韻文は精神に飛躍を促す
今週のおとめ座は、「霜の墓抱き起されしとき見たり」(石田波郷)という句のごとし。あるいは、人生の差し出す“答え”をさっと直感していくような星回り。
掲句は病床で詠まれた句で、作者はそのまま癒えることなく亡くなっていきました。そして、掲句にはさまざまな解釈が与えられ、その中には少なからず誤謬もまじっていたように思います。
たとえばそれは、掲句を「(奥さんか誰かに)抱き起こされたとき、私は霜がおりた墓を見た」という散文に書き下して意味をはっきりさせようという試みにおいて起きてきます。
俳句の言葉は短く曖昧ですから、ついそういうことをしてしまいたくなるのも気持ちは分かるのですが、掲句を散文ではなく韻文として読むならば、まず「霜の墓」というところで流れがいったん休止されていることに留意しなければなりません。
おそらく作者が「霜の墓」を思い浮かべたとき、それは言葉にならない一呼吸としてポンとそこにあったのでしょう。また「見たり」という強い他動詞は、それがさっと脳裏に焼き付くように刻印されたことを表している。
そうすると、この2つの言葉の隙間に横たわる「抱き起こされしとき」には、無機質なベッドの上で触れてくる誰かの温もりや時間の移ろいだったり、主体や客体の異なる幾層もの生の現実がうすく折り重ねられていることに気が付いていきます。
少し俳句の解釈に立ち寄り過ぎてしまいましたが、端的に言えば、先に“答え”だけが見えてしまう瞬間というものが私たちにはあって、今週はおとめ座にとってそうした直感的な飛躍が訪れやすいということです。
その際、むやみに書き下すのではなく、直感は直感として受け取っていきましょう。
うかれ出づる心
直感を受けとるとは、言い換えれば「流れ(flow)に運ばれる」ということでもあり、それは自分を包みこむなにか大きな力に悠揚と身を任せ、ふっと地面から浮遊していくような不思議な感触を心に残します。
平安末期に生きた日本を代表する歌人・西行には、まさにそんなフロー体験としか思えない心理を「うかれ出づる心」と言い表しました。そして、そういうモードがいったん発動してしまうと、さながら自分の身体から出ていってしまうものだなどと歌っていたのです。
汝自身を知るためには、一度自分を見失い、そしてうかれ出ていったこころにつき従って、その行く先を見定めていく精神の旅が必要なのかもしれません。
いずれにせよ、もし一度心が動いたならば、いよいよその時が来たのだと知るべきでしょう。
今週のキーワード
おのずから直感の流れに運ばれる