おとめ座
憑き物を落とす
ぼんやり光る確かなもの
今週のおとめ座は、「ゆふがほやたしかに白き花一ツ」(蒼虬)という句のごとし。あるいは、なんだかすべてがどうでもよくなりそうな最中で、確かな像をひとつ心に抱いていくような星回り。
夕闇にまぎれて、ぼんやり光るものがある。例えば、他人の冷たさや無情にふれて荒んだ心が腐りきってしまう前に、他人の温かさや情けを本能的に見出そうとする瞬間というのも、ちょうどそんなものだろう。
「たしかに」の一語が、かえって花の存在が不確かに感じられるが、これも輪郭が曖昧になっていく夕ぐれ時を思えば、確かな言葉遣いだと言える。
夕暮れ時は、昔から「逢魔が時」などとも呼ばれ、日中はどこかに伏していた魔や邪悪が宵闇に乗じて人の心に入り込んでくるのだと考えられてきたが、掲句のようにかえって余計な力が抜けて魔が払われることだってあるはずだ。
今週のあなたもまた、身の回りに潜む美点へ開かれていくことによって、心に巣食った憑き物を落としていくことができるでしょう。
詩人の魂
詩人はなぜ詩を書くのか。それに対する最も説得力のある鍵は「恥」の感情でしょう。
つまり、ぬぐっても汚れの落ちきらない不快な傷跡だから、言葉で飾ってつかのまの安堵を求めるのであり、だから詩人の書き上げる詩の透明度とは、詩人の人生の汚染度であり、言葉になった珠玉の数は、すなわち恥の数に他ならないのだと言えます。
恥の上に恥を重ね、それを捨てることもできずに引きずり、数えきれない恥を数珠のように繋ぎあわせながら、未練がましくそれを首に巻いて歩いていく。
……と、抽象的に書き出せばいくらか上等に聞こえるが、ようは喧嘩する度胸もなくてにやにや笑ってごまかしたり、人の憐れみにつけこんで何かものをもらったりと、私たちの誰しもが持ち得るような、およそ平凡な痛みに貫かれているのが詩人の魂なのです。
恥があふれにあふれて、詩人の掌からこぼれ落ちたとき、それが砂金のようにきらめく詩篇となっていく訳です。「憑き物が落ちる」というのは、もしかしたらそんな瞬間のことを言うのかもしれません。
今週のキーワード
平凡な当然さ