おうし座
無関係なんかじゃない
同じ天地のあいだで眠る間柄
今週のおうし座は、『一つ家(や)に遊女も寝たり萩と月』(松尾芭蕉)という句のごとし。あるいは、虚実のあわいを自由にこえて縁を結んでいこうとするような星回り。
日本海沿岸の旅先の地で、作者はたまたま同じ宿に泊まっていた遊女からの、伊勢までの同行を許してほしいという涙ながらの頼みを「自分たちは旅の途上で滞在しなければならないところが多いから」と断ってしまいます。それでも、遊女への哀れさが胸の内からとめどなく湧いてきてしばらく消えることがなかったために詠まれたのが掲句。
したがって、「一つ家」というのは単に一間を隔てて同じ夜を過ごした宿のことを指しているのではなく、秋の大きな月が照らし萩の花が咲き乱れる同じ大地のこと、転じてこの世そのものを指して言っているように思えます。
そうして、同じ「天」と「地」にはさまれつつ、旅するように一時この世に留まっては、多少の縁を結んでは、別れを遂げていく私たち「人」はみな、一つ屋根の下に眠る兄弟姉妹のようなものじゃないか、と作者なりの親愛の情を示そうとしたのではないでしょうか。
ところが、作者に随行した曾良の日記にはこの遊女とのくだりは記述がないため、これは作者がでっちあげたまったくの虚構であるとされています。月夜の晩に、旅のどこかで見かけた遊女の姿をふと思い出し、みずからの旅に“色”をつけようとしたのかも知れません。
9月18日におうし座から数えて「理想の社会生活」を意味する11番目のうお座で中秋の名月(満月)を迎えていく今週のあなたもまた、ふとした偶然で接した相手との縁をふとした拍子に手繰りよせていくことになるでしょう。
「インドラの網」としての世界
インドラというのは古代インドなどで信仰されていた天空神のことで、「強力な神々の中の帝王」を意味し、仏教では「帝釈天」の名で知られています。
そんなインドラの宮殿には「網」が飾られていて、その結び目にはそれぞれ宝石が付いており、互いに映し合って無限に輝き続けるとされ、これは華厳宗の説く、すべての事物が無限に交渉し、通じあっているとする事事無礙法界(じじむげほっかい)とも対応しています。
世界は終わりも始まりもなく互いに影響しあい、原因も責任も理由もなく延々とループしている。空海は「重々帝網名即身」と、成仏することはこの網としての世界と一体化して生きることだと言っていますが、ではこうした「網」をどこかでカットしていくと、どうなるのか?
自分は自分。他人は他人なのだから関係ないと。それは科学の文法であり、合理的な考えではある一方で、おそらく芭蕉は遊女との句をしたためなかったでしょうし、そもそも芭蕉が古い歌枕や各地の縁者を頼って旅をすることもなかったはずで、すると当然ながら彼の俳句を読んで「一つ家」ということについて思いを馳せることもなかったでしょう。
その意味で、今週のおうし座のあなたは、インドラの網全体をできるだけカットせずに生きていこうとするような、精神的な広がりや耐久性が求められていきそうです。
おうし座の今週のキーワード
「重々帝網(じゅうじゅうたいもう)」を大切にしていく。