おうし座
ちょ待てよ
第三の道を行くために
今週のおうし座のテーマは、知性と理性の区別。あるいは、「信じるな、まず考えなさい」という呼びかけに自分なりに応えていこうとするような星回り。
古来、人間は生死の不分明な境界に広がる空白地帯や、言葉を失うことしかできないような不条理に対し、想像力を働かせることで、宗教や哲学、文学をうみだし、近代以降は科学がそうした想像力を規定してきた訳ですが、科学技術のもたらす恐ろしい弊害を知った現代では、大衆はますますどこに救いを求めればいいか分からない袋小路に陥っています。
ただ、哲学者の池田晶子はそうした大衆の歩むべき道について、『あたりまえなことばかり』(2003)に収録された「生命操作の時代」というエッセイの中で、次のように述べています。
科学か宗教か、という古典的な二者択一を越える第三の道は、理性の道である。何よりまずそれが必要だと私は思う。科学と宗教の、もしくは西洋と東洋の「融合」といった道を先に唱えるのは、同じくらいに安直である。とにかくまず自ら考えられているのでなければ、そこに何を持ってこようが同じことの繰り返しだからである。
池田は、別の個所でも「知性」ではなく「理性」をはたらかせることの大切さを強調しています。例えば、知性ということなら、かつてのオウム真理教などは高学歴の理工系の信者が多かったことで知られていますが、理性の働きというのは、学歴や知識の多寡とは無関係であって、あくまで「永劫の不可解に直面した人類が、その絶句と引き換えに手に入れた」事象一般への洞察であり、「それへの態度のとり方」をいうのだと。
5月1日におうし座から数えて「公的態度」を意味する10番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、もっとはっきりと自分なりの「態度のとり方」を示していく機会が訪れていきやすいでしょう。
あわいに立つ
いつの時代であれ、社会の先行きが見えなくなってくると必ず幽鬼悪霊のたぐいが数多く出現しては、複雑怪奇な世相を織りなすものと決まっていますが、そこでは必ず、そうした幽霊や鬼や悪霊としての人間を積極的に受け容れていこうという言説が登場してきます。
それは言ってみれば「人間の業の肯定」であり、そこで生じてくる怪しい光をみずからの衣装としてまとっていくと、不思議な高揚感が得られるのも事実でしょう(京王線「ジョーカー」事件など)。しかし、今のおうし座は、そうした世の中の風潮とはなるべくなら距離を置いていきたいところです。
すなわち、「業の肯定」などもしなければ、無暗な否定もしない、あるいは、そういうものに寄り添うようでありながら、ほっとくようでもあるような「安易に決断を下さない」ということを示すのです。それは時代であれ相場であれ、得体の知れぬモノノケとネゴシエーションしていく上で、最も忘れてはいけない心得でしょう。
今週のおうし座もまた、もし「二者択一」を迫られたら、できるだけそのあわいに立っていく姿勢や、そうさせてくれる相手や環境をこそ大切にしていくべし。
おうし座の今週のキーワード
時には絶句するのも悪くない