おうし座
弱く見えて、案外しぶとい
苦笑いの奥に鎮座してあるもの
今週のおうし座は、『人間失格』の葉蔵のごとし。あるいは、否定しようとしても否定しきれないおのれの“実存”を徹底的に受け入れていこうとするような星回り。
太宰治の最後の作品である『人間失格』には、主人公・葉蔵の東京での知り合いとして堀木という男が登場してきます。この男はことあるごとに、主人公にそんなことをしていると世間が許さないぜ、などと囁いては葉蔵を脅かし、自分は間違っているのかも知れないという思いを巧妙に膨らませ続けるのですが、葉蔵は最後にこう思うのです。
「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな。」/世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、「世間というのは、君じゃないか。」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。(中略)汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ!などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ、顔の汗をハンカチで拭いて、「冷汗、冷汗」と言って笑っただけでした。
ここでは堀木はいわば「世間」の代理人として、“正しさ”で葉蔵を手籠めにし、自分の頭で物事を判断する力を奪おうとしている訳ですが、葉蔵はむしろ世間的正しさへと着地しないもののうちに留まろうと、堀木を拒絶することで、みずからの実存を取り返そうとしたのだと言えます。
24日におうし座から数えて「弱さ」を意味する8番目のいて座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の不出来や未熟を“正しさ”で裁かないでいられるだけの太々しさを取り戻していくべし。
極点を越える
不幸とかネガティブなことがあると、人は力を失うけれども、ある極点を越えると、どうも「ギフト」と呼ぶしかないものが来るらしい。ぼくは病院で、「弱くてなんの力もない、面倒をかけるだけの存在の人たちが、なぜ横にいる我々に力を与えるのか、『弱さ』というものには何か秘密があるんじゃないか」と思って、このことを探りたくなったんです。(高橋源一郎、辻信一『弱さの思想』)
ここで言う「極点を越える」とは、天災に見舞われるとか、事故にあってしまうといった、自分ではどうしようもない大きな出来事に直面したとき、それまで立っていた地面がぐらぐらと揺れているような感覚に陥るなど、強い不安や心許なさを感じるとともに、しばしばありえないような偶然が与えられ、不意に目の前の現実を“運命”として受け入れる準備ができてしまった瞬間のことでしょう。
そして「ギフトの受け取り」とは、既存の現実やその見え方が崩れていく代わりに、偶然にも生かされてしまったその先で、以前とはまったく異なる実存や見え方が生じ、それに馴染んでしまうこと、すなわち何らかの形での「生まれ直し」なのではないでしょうか。
今週のおうし座もまた、葉蔵もそうしたように、「極点を超えていく」ための試みをどうにか日常に招き入れていきたいところです。
おうし座の今週のキーワード
偶然との肌合わせ