おうし座
直接的な交差感覚
手に託す
今週のおうし座は、ヘブライ語の「ヤディド(友、ないし手と手)」という言葉のごとし。あるいは、頭よりも手で感じたことにこそおのれを託していこうとするような星回り。
ユダヤ教学者の前島誠は、ヘブライ語で「手」「力」「傍ら」などを意味する「ヤード(YD)」という名詞から、「手でする」を原意とする動詞やさらにその派生語が作り出されたとして、次のような聖書の一節を取り上げています(『不在の神は<風>の中に』)。
暮らしを支えるために朝早くから夜遅くまで身を粉にして働いたとしても、それが何になるのか。主は愛する者に必要な休息をお与えになるのだから。(詩篇127・2)
この「愛する者」はヘブライ語で「友、親友」を意味する「ヤディド(YDYD)」という言葉で、語形から見ると「手と手」とも読むことができますが、これは「親交をもつ、仲良くする」の意味をもつ「ヤデド(YDD)」という動詞からの派生語なのだそうです。
つまり、複雑な国際関係の中に置かれた古代イスラエルにおいて、真の絆や親愛の情とは、見た目や服装から生まれるのでも、会話から生まれるのでもなく、両手の手(行い)によって成り立っていくものとして考えられていた訳です。だからこそ、黙って手と手が触れ合い、そこでじかに相手に触れることが、真の理解に繋がっていくといった価値観の上で、「手」から派生した言葉が神(ヤハウェ)への賛美の詩にも用いられていたのでしょう。
当然、観念の中でいくらいじり倒しても不毛であるだけだという現実は、男女の仲において最も顕著となりますが、「知る」という意味の「ヤダァ(YDa)」という言葉は、アダムとエバのような男女が「枕を交わす」という意味でも用いられていました。そして、こうした触覚の最重要視こそ、現代で見失われたものの最たる例なのではないでしょうか。
6月18日におうし座から数えて「なまなましい実感」を意味する2番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、何によって知るべきかという“最初の一手”に立ち返っていきたいところです。
手から手へ
ここで思い出されるのが、W・C・ハンディの作曲エピソードです。ブルースを譜面の形で本格的に広め「ブルースの父」と呼ばれたハンディは、1903年の米国南部ミシシッピ州の町はずれのとある鉄道交差点で深夜に汽車を待っていたときの体験をもとに、『イエロー・ドッグ・ブルース』という曲を作ったとされています。
旅の途中だったハンディはいつまでもやってこない汽車を待ちつつ地面に座り込むうち、いつの間にか居眠りをしていたそうですが、不意にギターのかすかな音で目が覚めると、つづけて痩せてみすぼらしく老いた黒人の歌声が聞こえてきたのです。
さあ行こう、南部の鉄道がイエロー・ドッグ線と交差するところへ
当時の黒人労働者たちは南部の鉄道網を唯一の移動手段として利用しながら生きていた訳ですが、そうした移動感覚や交差感覚は、やはり旅の途上で耳にした老人の「ブルース」を元にした曲を譜面に落とし、それが各地のミュージシャンのあいだに広まり、彼らの手から手へ、口から口へと音や歌が伝わる形で、ブルースという深いリアリティを湛えた人の営みはムーブメントとなって広まっていった訳です。
その意味で、今週のおうし座もまた、頭で考えた計算や意図を超えたところで、自然に伝わっていくものをこそ、大事にしていくべし。
おうし座の今週のキーワード
ヘブライ語の「ヤディド(手と手、転じて、愛するもの)」