おうし座
優先順位の見直し
真に人間的であるということ
今週のおうし座は、脱・「ロボット人間」化への突破口。あるいは、より「人間的」なデザインを追求していこうとするような星回り。
都市や建築物が「人間的」でなければならないという話は、今日ではほとんど自明とされていますが、幕張メッセやヒルサイドテラスなどの設計で知られる建築家の槇文彦は、次のように述べています。
われわれはここで、いわゆる人間的であるということを、たんに人間に対応したスケールの確保、ゆっくりした生活のテンポ、緑と太陽、静寂、歴史の保存といった形でのみとらえてはならない。真に人間的であるということは、どのくらいその時点において人間であることが尊重されているか、ということにほかならないからである(『記憶の形象―都市と建築との間で』)
翻(ひるがえ)って、現代社会では果たして「人間らしく」あることが尊重されていると言えるだろうか。むしろ、ただ政府の決定や大企業の広告文句に操られ、その都度働いたり、楽しんだりするだけで、受動的かつ機械的な反応しか示さない「ロボット人間」となることが推奨されていると言った方が近しいようにさえ感じてしまいます。
そして、そうしたロボット人間にとっては、「ゆっくりした生活のテンポ、緑と太陽、静寂、歴史の保存」などより、「いつも忙しくしていること、コンクリートと蛍光灯、喧噪、流行に乗っていくことによる自己更新」の方が、よほど「人間的」なデザインであるはず。
29日におうし座から数えて「自己教育」を意味する3番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分にとって「人間的」であるとはどのようなデザインや建築を指すのか、そしてその実現のために不可欠で譲れないものとは何なのかが明確になっていくでしょう。
「行ない」の3つの側面
ここで思い出されるのが、20世紀を代表する哲学者ハンナ・アレントの『人間の条件』における議論です。「私たちがおこなっていること」すなわち環境に働きかけていく営みを、彼女は「労働(labor)」「仕事(work)」「活動(action)」の3つに分け、例えば台所でオムレツを作るのは「労働」で、タイプライターで作品を書くのは「仕事」、そして笛を吹いて演奏するのは「活動」といった風に区別し、それらが折り重なるように存在しているのだと考えました。
「労働」が消費に結びつき個人的な充足を支え、「仕事」が世界の存続維持に寄与するとすれば、「活動」は単に生きるための必要物(必然)から解放された行ないであり、と同時に最も軽視されやすい領域です。実際、アレントは、古代において活動―仕事―労働という順に並んでいたヒエラルキーが、近代に入って労働―仕事―活動と完全に逆転してしまい、すべての行ないが「労働」の観点から眺められるようになってきつつあるのだと述べており、このあたりは先の人間的or非人間的なデザインという話とも繋がってくるはずです。
アレントは自らの試みについて「最も新しい経験と最も現代的な不安を背景にして、人間の条件を再検討すること」と述べてもいましたが、今週のおうし座もまた、自分なりの仕方で「活動」の領域を確保しつつ、自身の「人間の条件」を見直していきたいところです。
おうし座の今週のキーワード
「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、最も独りでない」