おうし座
やわらかな存在へ
内臓感覚で春をとらえる
今週のおうし座は、春の「こころ」の再発見。あるいは、腹の底からしみじみと自然の移り変わりを感じ取っていこうとするような星回り。
解剖学者の三木成夫は、自然との関わりというのは、大抵の場合まず目から入ってくる視覚的情報から始まるのだと言います。それから、眼筋をはじめとするもろもろの筋運動がそれに連動していく訳ですが、これは外皮上の感覚や神経伝達、筋肉の運動などの「体壁系」の出来事なのだと指摘しています。
ただ、人間にはそうした「体壁系」とは別に、「肉体の奥深くから、心の声が起こる」ような仕方で「内臓系」からの反応も起こるのだとして、三木は次のように述べています。
赤トンボが飛んでいるから秋。サクラの花が咲いているから春。これは、あくまでも“あたま”で考えること。ほんとうの実感は”はらわた”です。文字通り、肚の底からしみじみと感じることです。たとえば、秋の情感を表わす「さわやか」という言葉は、胸から腹にかけて、なにかスーッとする内臓感覚が中心になっている。「秋はただ悲しみをそふるはらわたをつかむばかり……」元禄の俳人宝井其角の俳文の一節です。それから、“断腸の思い”というのもありますね。「さわやか」といいこの「断腸」といい、秋の情感をリアルに表現しようと思うと、もう内臓感覚の言葉に頼る以外にない。これは、大切なことだと思います。(『内臓とこころ』)
つまり三木の言葉を借りれば、「こころ」で感じるとは、はらわたを伝わってくる内臓波動と共鳴するということに他ならないわけです。その意味で、15日におうし座から数えて「息継ぎ」を意味する8番目のいて座で下弦の月を迎えていく今週のあなたのテーマもまた、春についてあたまで考える代わりに、内なる小宇宙の波に従って捉えていくことなのだと言えるでしょう。
太宰の「やさしさ」
秋の情感を表す言葉が「さわやか」だとすれば、春の情感を一言で表すとすれば「やわらか(柔らか/和らか)」でしょうか。
一般に、心が穏やかで、思いやりがあることを表すという意味で、「やさしさ」という言葉にも通じますが、作家のなかでは太宰治などはこの「やさしさ」について、特別な意味を込めて使っていたように思います。例えば、『雪の夜の話』という短編のこういう箇所。
難破してやっと灯台の窓縁まで泳ぎついた水夫が、助けを叫ぼうとして、ふと窓の中をのぞくと、灯台守の一家が楽しそうに団欒していた。いま自分が叫んだらこの団欒が滅茶苦茶になってしまうと思ったら、窓縁にしがみついていた指先の力がぬけ、ざっとまた大波にさらわれてしまった。――「この水夫は世の中で一ばん優しくてそうして気高いひとなのだ」
太宰は「やさしさ」を、「ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事」であり、それこそが「人間として一番優れている事」であるとも言う。そして「そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります」とも。この「含羞」もまた、内なる小宇宙の波がもたらす言葉にならない言葉のひとつなのでしょう。
今週のおうし座もまた、そんな風に内に秘めた思いを、ひかえめに、わざとらしくなく表すことのできる心の在り方に、自然と近づいていけるはず。
おうし座の今週のキーワード
「やさしい人の表情はいつでも含羞(はにかみ)であります」