おうし座
きっかけを繋いでいく
対話の発露としての「独語」
今週のおうし座は、『中年や独語おどろく冬の坂』(西東三鬼)という句のごとし。あるいは、剥き出しの自分自身を再発見していくような星回り。
自句自解には、「敗戦直後のある冬の寒い日に、神戸の坂道を上っていました。神戸という街は、山脈が海に沿って走っていて、そのためむやみに坂のある海港です」とあります。
ましてや人生の後半に差し掛かり、状況も状況でこれから何を食って生きていけばいいのかも分からないし、家族を養える見通しも立っていない。さながら、不安が洋服を着て坂道をのぼっていく姿が描かれている。
ここで面白いのは、そうして見つめていると自分でも気付かないうちに、きれぎれの言葉が口から漏れ出ていたというところ。それは呪詛の言葉ではなかったにせよ、綺麗に包装された希望の言葉でもなく、もっと生々しく、自分でもハッとするような本音であったはず。作者はそこに、改めて中年男としての自分自身を見出したのでしょう。
16日におうし座から数えて「表出」を意味する5番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、カッコ悪くても、意味が整っていなくもいい、それ以上にここに確かに生きていることを露骨に感じさせていくれるような事象として自分を捉え直していくことになりそうです。
同行二人
これは四国の霊場巡りの際に袈裟に書きつける言葉で、たとえ一人ぼっちの巡礼であったとしても、弘法大師が一緒に回ってくれるからという意味なのだそうです。法華経に「唯仏与仏」という言葉が出てきますが、これもやはりいかなる時でも自分ひとりではなくて、仏が仏に会っているのだと言うのです。
一説によれば人は1日に6万~7万語もの言葉を脳内で浮かべているとも言われていますが、これも「同行二人」という立場に立てば、さながらひとつひとつの言葉が大河の一滴として、対話の機会がそこに流れ続けてきているのだとも言えます。
ただ、近代以降の世界では「私」というものを語るとき、どうしてもひとつの鉄の玉のように強固なアイデンティティーを理想として考えてしまうところがあり、「同行二人」などと言われても、自我が分裂して自分以外の声が頭の中で鳴り響いている、自分はおかしくなってしまったのではないか、という風に捉えられてしまうように思います。
その意味では、今週のおうし座は、できるだけ「私」の言葉に重なってくる息遣いやゆらめき、すなわちもう一人の自分としての良心からの呼びかけに応答し、ぼやきや独り言を少しでも対話にしていくことを心がけていきたいところです。
おうし座の今週のキーワード
自己内対話の促進