おうし座
拡張された舌を生きる
疎外的状況を乗り越えて
今週のおうし座は、『夏河を越すうれしさよ手に草履』(与謝蕪村)という句のごとし。あるいは、親和し、浸潤するままに任せていこうとするような星回り。
作者が39歳のころ、知り合いをたよって京都市内から丹後の宮津、すなわち若狭湾に面した天橋立で知られる風光明媚な地へと赴いた際の一句。
ほんの短期滞在のつもりが、足かけ4年にも及んでしまったということが手記に書いてありますが、その言い様はさながら竜宮城にでも入り込んでしまったかのようでもあります。
滞在した加悦(かや)の村には小さな清流があり、それを見かけた時、作者はまわりに橋があるかなど気にもとめず、一気に川へ入ってそのまま渡ろうとしたのでしょう。
脱いだ草履を手にさげたその姿が、そのまま「うれしさ」の形になっていますが、この「うれしさ」とは単にほてった体を冷まし、渇きを癒してくれる身体的な爽快感だけでなく、この地に親和する気持ちの現われでもあったのではないでしょうか。
足とは拡張された舌であり、その役割はのばした先の領域と交じり合い、その風土を堪能することにあるのです。同様に、14日におうし座から数えて「一体化」を意味する8番目のいて座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの手足を通して誰か何かと交わり合い、一体化していくことになるはず。
分かちがたさへのプロセス
キジ・ジョンソンの『スパー』というSF短編があります。あらすじをざっと述べると、航行中の宇宙船が正体不明の船とぶつかって、相手側の救命艇のなかで、粘液に覆われた不定形のエイリアンと1対1となって絡み合い、体中の穴という穴から侵入を繰り返され、突っ込んだり突っ込まれたりし続ける、というとんでもないもの。
ただし、そこには不思議な酩酊感(めいていかん)があって、日々生きている実感が摩耗しているような今の社会にあって、こうした得体の知れないリアリティーと触れ合う中にこそ、真の意味での生きた実感が潜んでいるのではないかという気さえしてくるのです。
主人公の女性は当然抵抗したり、言葉を教えることで難を逃れようとしたり、この行為はもしかして性交なのではなく、何らかの意思疎通なのかも知れないと推測したりするのですが、その間もインとアウトの律動はひたすら続いたまま。そんなエイリアンとの行為は、女が失った過去を「思い出すこと」と「忘れること」の反復行為ともなり、いつしか現実と回想、そして目的と手段はその境界を失って渾然一体となり、エイリアンと女はついに分かちがたい存在へと変貌したことを暗示するような一文で、話は終わるのです。
妄想であれ現実であれ、今週のおうし座もまた、そうした格闘技の「スパーリング」にも通じる生々しい手応えや拠り所を少なからず欲していくことでしょう。
おうし座の今週のキーワード
いつの間にか摩耗していたものを取り戻す