おうし座
日常に詩を織り交ぜる
脱コピペの一契機
今週のおうし座は、『レタス買へば毎朝レタスわが四月』(小川軽舟)という句のごとし。あるいは、使い古したルーティンを鮮やかに蘇らせていくような星回り。
「レタス」は春の季語。とは言え、カフェの朝食プレートのつけ合わせでレタスをつついているだけでは、春が来たなあ、と感じることはないでしょう。
やはり、みずから台所に立って初めてそうした実感は湧いてくるもの。例えば、どうしても買った野菜を使い切れずに生ごみにしてうんざりしたり、いつ買ったか分からない野菜が冷蔵庫にたまっては、それを食べきることで頭がいっぱいになってしまったり。かといってカット済み野菜のパックを買えば、鮮度が落ちておいしくないと落胆する。
そうした数々の“おひとり様あるある”の面倒を乗り越え、さっと水洗いしただけの新鮮なレタスの、シャキシャキとした歯ごたえと爽やかな風味を感じたとき、ああ春が来たんだなあという感動をふっと覚えたり、掲句のような覚悟が芽生えたりする。
しかしそれにしたって、なぜこんな些細なことで私たちは感動するようにできているのか。おそらくそこでは、レタスならレタスを語るという行為が、既存の存在のコピー&ペーストではなく、存在そのものを新たに創造し建築する営みとなっているからでしょう。
17日におうし座から数えて「儀式と務め」を意味する6番目のてんびん座で満月を迎えたところから始まっていく今週のあなたもまた、日常のなかで繰り返す機会の多い行為や、よく使う言葉ほど、その鮮度が落ちていないか注意深くケアしていくべし。
小舟で釣りをするように
埴谷雄高はかつて『不合理ゆえに吾信ず』において「肉体をかこむかぼそい層の空間に眩暈のような或る不思議が棲んで」いると書きましたが、私たちは夜寝る前の意識がストンと闇に落ちる寸前や、まだ自分がどこにいるのかも定かではない完全な覚醒前のひと時にそうした「かぼそい層の空間」を毎日繰り返し通過し続けているのではないでしょうか。
普段なら、そのこと自体をすっかり忘れて、あるいはまったく気付かずに生活している訳ですが、今のおうし座ならば、そんなほとんど息もできない薄く伸びた層に、さながら網でも張るように意識を添わせていくことができるはず。
そこに引っかかってくるのはすっかり忘れていた子どものころの喜びかも知れませんし、人生の途上でどこかへ投げやってしまった感覚だったり、肉体に深く刻まれた記憶の場合もあるはずです。
今週は小舟から糸を垂らして釣りをするように、アンテナを立てつつもあくまでのんびりと‟何か”が引っかかってくるのを待つようにして過ごしてみるといいでしょう。
おうし座の今週のキーワード
肉体の周囲には「眩暈のような或る不思議が棲んで」いる