おうし座
袋小路を抜けて
新たな次元の加入
今週のおうし座は、両眼視覚によって得られた利点のごとし。あるいは、比喩的な意味で視界に“奥行き”が加わっていくような星回り。
両眼で見ている像はシームレスにつながった1つの像に見えますが、驚くべきことに、左右の眼の網膜からのびる神経は垂直に切り立った境界面によって完全に分離されており、2つの部分によって伝えられた情報が合成されて、再度、1つの主観的な像が作り出されているのだそうです。
こうした人体の念入りな手続きから生じる利点は2つあり、1つは字が小さくても照明が暗くても、ものが読みやすくなるという点で、さらにそれより重要なのは、奥行きがもたらされるという点なのだとか。つまり、片方の網膜から得られる情報と、もう片方の網膜から得られる情報との“差異”こそが、視覚に新たな次元を加えられ、単一のソースのみからでは生じ得ないタイプの情報がそこで得られるのだということ。
こうした二重比較の方法というのは、創造的な多くのケースにおいて採用されているのですが、逆に言えばそうした方法が欠如しているとき、私たちはしばしば認識の袋小路に陥っているのだとも言えます。
3月3日におうし座から数えて「シナプスのネットワーク」を意味する11番目のうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした複数のソースからの情報を見比べ、重ね合わせることで、すでに見えているはずの現実に新たな理解をもたらしていくことがテーマとなっていくでしょう。
「私はインコである」と言う先住民
人類学のフィールドワーク記録の中には、現代社会の基準からすると、とても不合理で、話の通じない考え方をする人々がよく出てきます。例えば、「私はインコである」と言うアメリカ大陸の先住民に対して、宣教師たちは「インコは鳥だろう。あなたがインコであるはずがない。あなたは誰か?」「いや、私はインコなのだ」という問答が繰り返される光景がかつてしばしば見られたそうです。
しかし、北アメリカの先住民たちには「レッドフォックス」という名前を持っているなど、自分たちの先祖と動物との間に共通性を見出しており、これは1オクターブ異なる「ド」の音同士が、違う音だけれど、響きあっていく。「あっ、これは同じ音だ」と感じられるのと似ているように思います。
世界は響きであり、この世界にある物事はすべて響きあっており、ひとつひとつは孤立しているのではなく、共鳴をつうじて繋がっている。そうしたホモ・サピエンスが出現した頃にもっていた古いマインドセットを、彼らアメリカ先住民はまだ有していたのです。
今週のおうし座もまた、ある意味でそうした20年万前のホモ・サピエンスの基本的な感覚と思考に立ち戻り、少なくとも否定したり無視しないことが1つの指針となっていくでしょう。
おうし座の今週のキーワード
響きの重なり合いとしての世界