おうし座
限りなく自然な呼びかけを
わたしを通して春に染める
今週のおうし座は、「吹きそめし東風の障子を開きけり」(池内たけし)という句のごとし。あるいは、東から吹いてくる風のようにそっと誰か変質させていくような星回り。
長い冬ごもりを経て、やっと障子の外の、灰色の空や庭の木々にも春の息吹が感じられてくるようになった。まだ寒いけれど、東風が吹けば、梅が咲き始める。気付けば、固く閉じていた障子をそっと開いていた――
掲句はそんな春を待つ人間のこころの、より細やかな感情の流れがじつに平明にあらわされた一句。難解なところが少しもないばかりでなく、目で見たままが、こころで感じたままが、そのまま口をついて句となったような、ごく自然な手つきで言葉が置かれています。
しかし、当然ながら、そうなるまでにはずいぶん修練が重ねられてきたのでしょう。句のどこを見ても強引なところがなく、決して言葉に無理をさせていないし、頭でひねくってもいない。料理に例えれば、湯豆腐かお茶漬けくらいの素直な味で、平明であれど平凡ではないというところに、作者の芸術観が結晶化しているように思います。
なお、「吹きそめし」の「そむ」は「初めて~する」という意味と、「染み込んで色がつく」という意味のダブルミーニングになっていますが、2月8日に自分自身の星座であるおうし座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、さながら「東風(こち)」になったつもりで自分の周囲を吹きそめていくことになるでしょう。
水夫たちの投壜通信
東風はどこか投壜(とうだん)通信に似ています。これは、手紙を壜(びん)に詰めて栓をして波に投じる行為のことなのですが、もともと難破船の水夫たちが行ったとされる伝説的な振る舞いであり、自分が船とともに海の藻屑と消えるのが明らかな場合に、家族や知人へのメッセージを万に一つの可能性に託す賭けに等しい行為でした。
ルーマニア出身の詩人で、ナチ支配下の強制収容所生活を生き延びたパウル・ツェランは(両親はともに死亡)、詩は投壜通信に他ならないとして、次のように述べています。
詩はひとつの投壜通信であるのかもしれません。どこかに、どこかの岸に、ひょっとすれば心の岸に打ち寄せられるかもしれないという信念―必ずしもいつも確かな希望をもってではありませんが―のもとに、波に委ねられる投壜通信です。詩は、このようなあり方においてもまた、途上にあるのです。つまり詩は何かに向かって進んでいるのです。(中略)ひょっとすれば語りかけうる「あなた」、語りかけうる現実に向かってです。(飯吉光夫『パウル・ツェラン: ことばの光跡』)
その意味で、今週のおうし座の人たちもまた、本当に語りかけたい相手がどこの誰なのかが明確になってくるにつれ、おのずとこころの風にのせて伝えたい想いそのものも浮かび上がり、呼びかけも強くなっていくはずです。
おうし座の今週のキーワード
詩はいつも「あなた」に向かう途上にある